蛙男

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蛙男

日に日に魚影ははっきりとし、もう疑うこともなく、目の中に魚がいる。 はて、どうしたものか。 他人から、目の中の魚が見えはしまいか。 顔を洗って覗き込んだ鏡を見て、ふと、不安を覚えた。 出勤途中に早くから開いている、お年寄りばかりが集う薬局に立ち寄り、眼帯を買って左目を塞いだ。 真っ暗になった眼の中で、魚はぱしゃぱしゃと泳ぐ。どうやら、外から見えなくなったのが嬉しいらしい。どうしてそんな風に思ったのかは分からぬが、なぜだかそれが見当違いではないとも思う。 嬉しいのはよいのだが、ぱしゃりぱしゃりと尾が跳ねあがる度、涙が止まらぬ。 涙が止まらぬ左目を抱えて、私は仕事に勤しんだ。 左目で魚を飼い始めてから、出かける度に、雨の日が増えた。 今年の梅雨は、よく雨が降る。 ただそれだけだとも思うのだが、友人知人からアメフラシとのあだ名をもらったほどだ。 それまで晴れていても、私が着くと途端に曇る。曇るばかりか、しとしとと晴れた雲間からも雨が零れる。 よく雨が降る梅雨なのだ。 今日も朝からずっと雨だった。 私は左目の涙を拭い、外を見た。 夏近く、日が長いので雨とはいえ、夕方でもまだ明るい。 机の上には、終わらぬ書類がまだ積んである。 「手伝おうか?」 「や、それほどかからず終わるはずだよ、ありがとう」 肩越しに声をかけてくれた同僚を振り返ると、そこそこに切り上げろよと、ふたつみっつ飴玉をこちらの掌に押し付けて、笑顔を向けて帰っていった。 本当は少し、手伝ってほしい気もする。それでも断ったのは、眼帯を外したかったからだ。 涙が止まらぬから仕事が進まず書類が残る。それなのに、残業中も眼帯をしていれば、さらに遅れる。それを手伝わせたのでは、申し訳もたたぬ。 もらった飴玉を口に放り込むと、魚はくるりと身体を翻した。
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