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episode251 天宮和樹はまた振り出しに戻る
「物言わぬ絵の前にいる——君の暗号で辿り着いたよ、セザンヌだ」
その声で僕はようやく。
10個のりんごと白いナプキンが描かれたキャンヴァスから視線を外す。
「待たせたかな?」
振り向くと細い眼鏡越しに僕を見下ろし
椎名涼介は親し気に肩を抱いた。
「いいの。あなたに電話してから1時間ばかりこの絵を見てたけどまだ飽きない」
「君、静物画がそんなに好きだっけ?」
「そういうわけじゃないけど——気分なんだ」
「物言わぬ絵が?」
「ええ、そう。物言わぬ絵が」
正直今の僕は動くことないりんごと
何の変哲もないナプキンに心底癒されていた。
「それじゃどうして僕を呼んだのさ?」
どさくさに紛れて椎名さんは僕の顎先を掬い上げ
「本当は寂しかったんだろ?りんごやナプキンじゃ慰められない。違う?」
「ん……」
拒まないのをいいことに——。
そしてまわりに誰もいないのをいいことに啄ばむようなキスを繰り返す。
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