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嫉狐南瓜《ねこかぼちゃ》
一九四四年七月二十二日は,予備役陸軍大将・朝鮮総督の小磯國昭が東條英機の後継として第四十一代内閣総理大臣に任命された日である。
小磯は,戦後,連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によってA級戦犯容疑で起訴され,東京裁判で終身刑の判決を受けた。そして一九五〇年十一月三日に巣鴨拘置所内で食道癌により死去した。
一九四四年四月上旬,群馬県大間々村の外れにある小さな集落の畑に黙々と鍬を振う男がいた。
神山武次は,田舎の小さなバス会社の職員だったが,六年前に業務中の事故で左手首から先を失った。それ以来,現場から離れ事務職として働いていた。
当時どんなに健康であっても,身体障がい者はお国のためにならぬと肩身の狭い思いをするしかなかった。
武次は左手に不自由はあったが,それ以外は健康で,日に焼けた精悍な顔立ちは誰もが見惚れるほどだった。
仕事の合間に畑仕事をするのはバスの本数が少ない田舎ではごく当たり前で,武次も暇さえあれば畑仕事に精を出した。他の社員も皆,バス会社の職員というよりも農家が片手間にバス会社でバイトをしているようなものだった。
ある日,武次が近所に住む神山智と酒を酌み交わしていると,最近畑を荒らす害獣が出るという話になった。
智は,足尾銅山の運営会社である古河鉱業に対して,渡良瀬川を汚染していることに対する保障と賠償を求める「足尾銅山鉱毒問題運動」に夢中になっていたが,普段は小規模な農家を営み質素な暮らしをしていた。
智自身も鉱毒によって内臓が蝕まれ,満足に働けない身体になった被害者の一人だった。
「アカキツネがうちの畑を荒らしてんのを見たよ」
昔からこの辺りで畑を荒らす獣といえば猪か土竜だったが,智はキツネが穴を掘っているところを見たと言った。
「キツネなんて随分と見てねぇな……。それにしても,キツネが村におりてきてんのか……」
智が自家製の焼酎を口に含み,小芋の味噌煮をつまみながら武次を見た。
「ああ……ありゃあ,アカキツネだった……」
「珍しいな……赤城山のキツネかな……」
武次と智は同じ神山性だが,この一帯の半分以上が神山性で本人たちですらどれほど血が濃くつながってるのかわからなかった。
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