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卒業式の次の日、親父さんが元々白い顔を蒼くして俺の家に飛び込んできた。紺からの書き置きを握り締めて。
『こんな形で本当にごめんなさい。この家を出る事を決めました。この日のことは、ずっと考えていました。いつかはこの街を離れること。父さんは何も悪くない。俺が悪いんです。俺が弱いからいけないんです。携帯はもう解約しています。俺を愛しているのなら、どうか探さないで下さい。俺はもう、戻らない。親不孝な息子でごめんなさい。長い間ありがとうございました』
手紙の通り、携帯は既に解約されていた。勤めると言っていたはずの角の工場にも当然いなかった。面接にすら来ていないと、工場長は言っていた。俺の母親も一緒になって、足が届く所は手を尽くして探した。そのどれもが無駄であると知った時、当然興信所や探偵、あらゆる手は思い浮かんだ。こんな時代だ。そう簡単に身を隠せるものじゃない。
けれど、親父さんはそれをしなかった。紺が望んだ事だから、と。それっきり、俺たちは紺を追う事をやめた。
十七年、共に生きて来た親友の突然の失踪。それから俺は荒れ果てて、気付けばこの通り。借金抱えて、女に頼って、クズだと言われても反論も出来ないような人生。
まるで息をするように、紺は嘘を吐いた。その秘密を、守る為に。沢山の人を傷付け、そしてそれ以上に傷付いた事だろう。それでも、この街を離れなくてはならなかった。その覚悟を踏み躙る事が果たして正しいのだろうか。このまま二度と会わない事が、お互いの為になるのではないか。
だが、俺は紺を忘れられるのだろうか。
この気持ちが何であるか、正直確信はない。人の気持ちも分からない俺に、こんな複雑な心が理解出来るはずもない。けれど今、紺に会わなくてはいけない、そう本能が告げていた。
空が、あの別れの日と同じ、濃紺に染まる。小さな名刺を握りしめ、俺はゆっくりと立ち上がった────。
【完】
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