高校二年生、盛夏

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 大村先生は至極言いづらそうに、その原因について俺に問うた。〝あの事件〟の他に、最近何かあったのか。精神的に参っているのか、と。  幾ら考えたって、紺を追い詰めるものは〝あの事件〟の他には何もない。むしろ、〝あの事件〟はたった二年で過去に出来る物ではない。それは聞き齧りのこんな男より、一番側にいた俺が誰より知っている。 「……いえ、何も無いと思います。最近親父さんが翻訳の仕事を再開したみたいですし、きっと色々手伝っているんだと思いますよ」  淡々と発した言葉は、自分でも驚く程に温度のないもので、唯そんな自分に微塵も罪悪感はなかった。大村先生は再び眼鏡の奥の瞳を伏せて、そして直ぐ、その瞳を真っ直ぐ俺に向けた。 「何かあったら、俺にも教えてくれ」  俺はこの時、爆発的な衝動を抑える事に必死だった。  何で、お前なんかに教えなきゃいけないんだ。紺に何かあったとしても、俺が何とかするし、そこに他者が入る隙間など一寸もありはしない。〝あの事件〟を手土産に持って俺と紺の間に割入ろうとする人間が、俺にはどう足掻いても許せなかった。  それが、俺とあいつを結ぶ絆を鎖に変えたからである事を、俺自身がまだ気付いていなかったとしても。 「気を付けて帰れよ」  無言で席を立つ俺に掛けられた月並みなその言葉さえ、何か良からぬ予言のように感じた。
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