いつか闇夜が明けるとき

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「だが、朝田。俺が組織の流儀を貫けば、きっとウォンは悲しむだろう。俺は亡き友を悲しませたくないのだ。それから、織田も悲しむだろうな」 北条は右手を上げた。それから、黒背広に下がれというように手を振った。ハルキの後頭部から、拳銃の冷たさが消えた。 「だから朝田、生きてくれ。生きて、俺の亡き友をいつまでも忘れないでいてやってくれ」 「はい」視界がぼやけて何も見えない。 北条はしばらく無言で動かなかったのだが、やがて言葉を選ぶように静かに語り始めた。 「どのように話そうか、あるいは話さずにいるべきか、なかなか答えが出ない不思議な出来事が起きたんだ。細川に関してだ」 「細川、ですか」 「そうだ。細川だ。実を言うと捕まえたのだよ細川を。我々が、警察よりも早くな」 ハルキは、手の甲で涙を拭った。 「捕まえたというよりも、もっと正確に言うなら、細川は自分からこの俺を訪ねてきたのだ。しかも細川は、自ら十億を俺に差し出して来た。命乞いをするためにだよ。消えるはずの命を十億で買えるなら、安いものと思うか朝田」 ハルキは頭に全身の血がのぼって、身体が熱くなるのを感じていた。細川は十億を上納金として北条に差し出して、自らの身の安全の保障を願い出たというのか? 「細川は、命乞いをしたというんですか」 北条は頷いた。 「そうだよ」 北条は続けて言う。 「細川は命乞いをした。十億円をすべて差し出すから、朝田ハルキの命だけは助けてやって欲しいとな」 耳を疑った。あの細川が? 何がどうなっている? 「意味が、分かりかねます」 「わからないか」 「はい」 「実を言えば俺にもわからない。それでもあの男なりに、最後の最後まで考え抜いた結果なのだろう。その答えが十億円の使い道だった。あの悪党は十億円で生命を買ったのだよ。朝田、おまえの生命をな」 「細川はどうなりましたか」 「死んだよ」 「死んだ?」 死んだというのか、あの細川が。それにしても、死んだ? なぜ? 確かに怪我はしていた。苦しそうではあったが、自分の足で立って歩いてもいた。 「細川が俺を訪ねてきたとき、すでにあの男は虫の息に近かった。脇腹に受けた銃創が本人や周りが思ったよりも深手だったらしい。細川は死ぬ間際、俺に言ったのだ。十億円で朝田ハルキの生命を買いたい。朝田を殺さず生かしておいて欲しいと。俺は即答できなかった。細川の真意を計りかねたからだ。だが、細川の目を見ている内に俺は悟ったのだ。今、死にかけているこの男に邪な思いは微塵もないのだとな。俺が頷くと、細川は息絶えたよ。朝田に罪はないと何度も繰り返し念を押しながらな」 ハルキの瞼の裏に、初対面のときの颯爽とした細川の姿が浮かんでは消えた。 「ウォンの魂と、織田の魂と、細川の思いに免じて、おまえの命はおまえに返してやる。ただし条件がある。堅気に戻れ。これが最後の機会だ。堅気の日常に戻るんだ。そして、裏も表もなく真っ当に生きるひとりの人間として、またサンセットに飲みに来い。それが条件だ」 ハルキは、黙って頷いた。 「帰っていいぞ」 そう言ったきり、北条は目頭を押さえて顔を伏せた。北条の右手が、行けというふうに小さく動いた。背後。扉の開く音が聞こえた。ぬるい風が、部屋の中に流れ込んだ。
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