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目を伏せて、カウンターの木目を見つめた。木材は磨き抜かれているが、艶は失せている。そんなカウンターの上に、使い込まれた古い紙幣を三枚、静かに置いた。
朝田ハルキが海の底に沈んでゆくような気持ちでカクテルバー〈サンセット〉を後にした時、腕に巻いたカシオのGショックは二十二時ちょうどを差していた。
今日は七月の最初の土曜日。今年の夏は酷く暑くなりそうだ。とは言え、真夜中近くともなれば、Tシャツだけでは肌寒い。
朝田ハルキはジーパンのポケットに両手を突っ込んだ。
背中を丸めながら、裏通りを当てもなく前方に進み続けた。
ふいに背中の向こうから、まるで心臓に突き刺さるような、太くて鋭い声を聞いた。朝田ハルキの身体が、石膏で固められたように硬直した。
年上の男の声だった。朝田ハルキより明らかに年上の男の声。
「振り向くな。振り向いたら殺す。振り向かずにイエスかノーで答えろ。本当に拳銃が欲しいのか」
地の果て。
地獄の底から響く声。
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