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ここ数年、私は端的に言えば『燃え尽き症候群』というのだろうか、若い頃、いや幼い頃から生き甲斐としてきた「真実の探求」とでも言うべき、私の一大事業にひとつの区切りを感じていた。
もちろん、まだまだ知らない真実は無限に存在するわけだが、『ここらで、もう充分だ』と感じるようになり、次の大きな段階へと進むエネルギーが、いっこうに湧いてこない自分自身を感じていた。
そんな時、ふと立ち寄った場末のバーで、ある人物から声を掛けられた。
「にわかには信じてはもらえないと思いますが、死神です」
酒の交じった冗談かと、私も思った。それも、使い古されたつまらない類の冗談だと。
カウンターの隣に座った、その死神と名乗る人物は、仕立ての良さそうな黒いスーツに身を包んでいた。この場末のバーには似つかわしくないという点以外は、銀座や北新地に行けば、いくらでも出会うような、ある意味、普通の格好だった。少なくとも映画や漫画に出てくるような恐ろしい死神のイメージとは程遠く、ごく普通の姿をしていた。
勘の良い皆さんなら、既にお気付きの通り、彼は確かに死神だったのだ。だからこそ、今、私はこうしてT氏の身体を借りて文章を残すことができているのである。
死神は、私に「死なないか?」と提案してきた。
ある意味、死神としては当然の提案である。
私は、先ほどまで周りに居たカウンターの客やバーのマスターの姿を探した。しかし、このバーにはもはや私と死神しか居ないようだ。まるで夢の中の出来事のようだった。
ただ、この時点で既に私は、死への領域へと一歩、踏み入れていたのかもしれない。
死神は丁寧な口調で喋り始めた。
「人間の死の決定には2通りの方法があるのですが、その1つ、死神リストに間違って、まだ生きるべき人間を書いてしまいました」
拍子抜けがするような人間臭い話を、死神は続けた。
「死神リストを訂正するには、代わりに死ぬ人間を探さなければならないので、あなたにご提案をさせていただいているという次第です」
会社のトラブルをサラリーマンが話すような可笑しさを、私は感じた。
「身代わりか。ところで、2通りある死の決定方法のもう1つというのは、どういう方法なんだい?」
「もし、あなたが身代わりを断れば、今こうして話している記憶もあなたから消えてなくなるので、お教えしましょう」
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