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別れの言葉を言うために、ネクタイを解いた。
紺色の車の前に立つ秘書の高遠はネクタイと背広を腕にかけて出てきた主の姿をちらりと見たものの、黙って後部座席の扉を開けて中へ促した。
「西門から出てくれ。速度をかなり落して」
蒼はいないかもしれない。
そんな微かな期待が征司の口を閉ざした。
「はい」
十歳ほど年上のこの専属秘書は、いつも多くを聞かない。
それでもこの五年間、智成とともに一族の者たちの目から蒼の存在を隠し通してくれた。
そんな彼に、なぜかこれから起きるであろう事を言う勇気がなかった。
夏の初めの夕方で、まだ日も沈んでいない筈なのにうっそうとした木に挟まれた私道は薄暗かった。しかし、門を出てさほども行かない先に黒いシャツ姿の男が立っているのが見えた。
「あれは・・・」
やはりいた・・・。
蒼だった。
高遠はさらに減速し、蒼の手前で車を停めた。
彼はゆっくり歩み寄り、だん、と威嚇するかのようにボンネットに両手をついた。
「征司、降りろよ。話がある」
鋭い、刃のような瞳が征司の胸を突き刺す。
思わず息をのむと、「・・・行きましょうか?」と高遠がシートベルトを外してドアに手をかけようとする。
するとそれが蒼の気に触ったのか、更に大きな音でボンネットを叩いた。
「あんたには用がない!」
今、目の前にいる男は誰だろう。
こんな目でこんな事をする人ではなかったのに。
…そうさせたのは、自分なのだ。
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