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「・・・どうしてここに?」
何を言えばいいのかわからなくて、適当な言葉が口を出る。
「毛利から聞きだした。今日は本宅で法的な手続きをした後、夕方に会食のために移動するって」
違う。聞きたいことはそんなことではなくて。
しかし遮る勇気もなく、浅く頷いた。
「そうか・・・」
「わかってはいると思うけど、あいつのせいじゃないからな。俺がさんざん脅して聞きだしただけだ」
「うん、そうだね・・・」
こんな時に、蒼本来の心優しい部分が顔を出す。
蒼はいつだって優しかった。
優しく、大切に、抱きしめてくれた。
申し訳なさに目を合わせることが出来ない。
「来いよ、場所を変えよう」
腕を取られて、正気に戻った。
自分は何のためにここにいる?
懐かしい指先を慌てて振り払う。
「こ・・・、ここでいい。知っての通り、次の約束があるから」
声が震えそうになるのを必死に堪える。運の良いことに風に押された木々のざわめきがあたりをかき乱してくれた。
「何かあったら秘書が飛び出すという算段か?」
蒼が運転席を顎で指して鼻で笑う。その歪んだ唇に目の前が塗り潰されるような思いになりながら、精いっぱいの力で睨みつけた。
「高遠には何があっても出てくるなと言ってある。それにどうせここにはだれも来ない」
智成が用意してくれた舞台だ。上手く演じ切らねば。
おそらくこれを逃したらますます事態がこじれていくだけだろう。そうなる前に幕を引かねばならない。
誰のでもなく、自分の手で。
「征司…。行くな」
唇と唇の間で蒼が囁く。
思わず頷きそうになるのを彼の腕のシャツを握りしめることで堪え、必死に抵抗を試みる。
「そう・・・。いや・・・。やめて・・・」
離れたくない。
彼の腕の硬さを、胸の温かさを感じれば感じるほど、離さないでとすがりそうになる。
雨足はますます激しくなり、木々の葉を、地面を、車を、ばたばたと叩き続け、そして自分たちの汚れを洗い流すかのように隈なく降り注ぐ。
このまま、雨とともに何もかも消えてしまえばいいのに。
「思い出せよ、俺たちはそんなもんじゃない・・・」
鼻の奥が熱くなり、目尻から涙がこぼれおちた。
器用な指先で髪を梳かれるたびに、背中を手のひらで撫でられるたびに、蒼の心が流れ込む。
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