-征司-

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「征司様・・・」  ふいに、耳元で聞こえる雨音が変わる。  ゆっくりと見上げると、背の高い男が傍にいた。  ・・・傘か・・・。  布をばたばたとせわしなく叩く音の中、高遠の漆黒の瞳が覗き込んでいた。 「どうか、もう車にお乗りください」  そういえば、自分は高遠と出かける途中だったのだ。  ずいぶんと前の事のように思えるが、辺りの色はさほど変わらないような気がした。 「うん、そうだな・・・」  急に寒さを覚えた。  口元が、うまく動かない。 「もどらないと・・・」  寒くて、身体が動かない。  ふいに、暖かなものに包まれた。 「・・・風邪をひきます」  低い、低い高遠の声が頭から降ってくる。  ・・・暖かい声だった。 「あたたかい・・・」  冷たい雨の中に蒼を押し出して、今、自分は暖かな腕の中にいる。  暖かさを感じては、いけないのに。  なのに、動けない。  涙だけがあとからあとから零れ落ちた。  立ち尽くす自分を更に強い力が包み込む。 「・・・行きましょう」  そう言いながら、高遠も動かない。  うっすらと煙草の匂いのする背広の胸元に額を預けて、目を瞑った。 「・・・うん」  温もりの向こうに雨を感じながら。  雨が降る。  思いだけをそこに残して  ただ、いたずらに激しく、雨は降る。
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