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まさにキスをする瞬間を見計らったように、彼女がハンガーにかけてくれた尾田のジャケットのポケットの中で豪快に携帯が着信音を響かせた。
それを無視するように尾田が彼女の顔に近づいていく。
「いいの? 鳴ってるけど」彼女の戸惑った表情。
「……いいよ。どうせ、ろくでもない電話だ……」
キスの続きをしかけた尾田は、はたと動きを止めた。彼女は閉じていた瞼をそっと開けた。
「どうかした?」
鳴り続ける着信音に耳を澄ました。
―――この音は……。黒電話の音だ。
尾田は、がばっと立ち上がってジャケットの元へ急いだ。
ポケットから取り出した携帯の通話ボタンを慌てて押す。
「もしもし……」
鳴り止む前に電話を受けられた事に、尾田はホッと胸を撫で下ろした。
尾田が唯一着信音を変えている人物からの電話だった。絶対に聞き逃す事がないように、わざわざ耳障りなうるさい音に設定してあった。
「……尾田ぁ、何してた? もう家に帰った?」
少し元気の無いような貴子の小さな声が聞こえてきた。
ちらっとソファに座る涼子を見た。涼子は、グラスに注いだビールを飲んでいる。
「ああ。お前は?」
電話の向こうでは、ゆるやかなピアノの音楽が微かに聞こえる。
「飲んでる」
「一人か?」
「……うん」
それ以上、聞く必要は無かった。
尾田は、ジャケットの袖に手を通して隣にかけてあった黒のコートを手にした。
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