雨粒の一生

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私は、『こいつバカだな』と毒づいた。これ以上加速なんかしないわ。物理的にどれだけ高い位置から落下しようと雨粒は一定の速度以上にはならないのだ。もしも加速に限界がないのなら人間は雨に打ち抜かれて死亡してしまうかもしれない。現にずっと私とあいつは並走して落下しているではないか?稚拙な考え方だ。私は激しく嫌悪感を抱いた。 『あんた、他と何か違うな?』 私は驚いた。これまで他の雨粒と意思疎通ができなかったが、初めて声をかけられたのである。 「どういうことだ?」 しかし、その雨粒からの返答はなかった。結局、一時とはいえ何故意思疎通ができたのかは分からなかった。 地表に叩きつけられた私は溜息をついた。満員電車に押し込められたような感覚に襲われたからである。運悪く水溜りに落ちてしまったのだ。無数の水玉の意思がどよめき私の精神を蝕んでいく。いっそ水溜りで小学生が遊んでくれれば、私の水玉をどこか別の場所に飛ばしてくれてこの喧騒から抜け出させてくれるのではないかと期待すらしている。 しかし、実際にはそう都合の良いことはなく太陽が雲間から顔を出し、水溜りを蒸発させてくれるまで約1日ずっと苦しむ羽目になった。しかし、こんなのはまだマシである。 ある時は、為すすべもなく植物の身体に取り込まれ、又ある時は野鳥の体内に取り込まれ糞と一緒に排出された。プライドの高い私からすればただ自然に身を任せるしかなく、挙句の果てには、糞と同等の扱いで自然界に排出されるのは屈辱的である。だからといって、生物でない以上は、死ぬことも許されない。水分に死という概念は存在しない。形を変えて地上に存在し続ける。意識が消滅することは決してない。これでは無限に続く地獄でしかない。不老不死や不死身とは、そもそも死という概念が前提条件として存在しているが、その前提条件すら存在しえないのである。いっそ殺してくれとさえ言えないこの苦しさは言葉では言い表せない。次はどんな苦しみが待ち受けているのだろうか、そんな思いを抱きながら白き遊覧船を目指し再び大気中を浮上した。
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