0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
絶望を希望に。
僕には何も無い。
いや、奪われてしまったと言う方が正しいだろう。
今は絶望の淵にいる。這い上がることも、何かにすがることも出来ず、許されないのだ。
何もかもが意味を成さない。そう、絶望だ。
希望という言葉がある。
僕が、今いる絶望の反対の定義がある言葉だ。
希望というのは絶望の反対なんかじゃない。
絶望とイコールで結びつく言葉だ。
希望が絶望へと繋がるためのトリガーが存在するんだ。
それは、期待という心に存在する感情だ。
このトリガーはとても厄介だ。気を狂わすものだ。
人は、心が乱れると、途端に気持ちが切れてしまう。
正常な判断が出来ず、自分だけでなく周囲にも、傷を負わせてしまう。 導き出される答えはただ一つ。
感情の起伏次第で、人は狂人にすらなり得るということ
これが、希望を期待した、絶望の淵にいる者の末路だ。
「絶望の淵にいる者は生きることを諦めたのか?」
このような問いかけをされたことがある。
正直、僕は諦めかけた者だ。
だか、諦めずに生きたのには理由があった。
それは、絶望したことによって得られた希望の掴み方をまだ知らぬ絶望を味わう前の少年少女達に伝えたかった からだ。
経験というのは、理由を探し、見つけるための道標だ。
その事を心に刻んでほしい。
絶望の淵にいる者達に聞いてほしい。
苦しいのは、辛いのは今だけだ。この先、何が起こるかわからないが、辛いことを経験と捉え、その先の希望を掴むために生きることに一生懸命になってみてはどうだろうか。物は試しである。
自分が思う希望を、絶望から抜け出し、生きる理由を掴むために生きることに誇りを持て。
僕は、心に傷を負った君たちを陰ながら応援している。
最初のコメントを投稿しよう!