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エピローグ 調査打ち切り報告
老人が話し終わるか終わらないかのうちに
酷い眠気に襲われてしまい、
気が付くと老人はもういなかった。
摩崖仏巡礼の風習はとっくに無くなっているし、
老人が何者であるかも分からない。
老人の話は具体的で、作り話とは思えなかった。
結局調査は難航の末打ち切りを決めた。
「聞き書き」として老人の話を報告書に添付した。
「忘れられた旅路」
摩崖仏巡礼調査打ち切り報告
下記の理由により「忘れられた旅路」X岳麓調査を打ち切ります。
X岳麓巡礼地について
巡礼が行われていたと思われるX岳周辺には、
明治期まで何尊かの摩崖仏が残っていたという。
度重なる地震により現在では一尊も残っておらず、地形も変わってしまっている。
また当時のそれらしき絵や写真、書物、報道記事も現存していない。
地元郷土史家・郷土資料館にも照会したが、X岳麓摩崖仏巡礼について
知っている者はおらず、資料は一切ないとの回答を得た。
合わせて死亡した巡礼者たちの墓や、葬った人々についても照会したが、
回答は同じだった。
地方の古老の紹介を乞い、郷土資料館でも数人に連絡してくれたが
全員断られたとのこと。
連絡した人の氏名・住所等は個人情報とのことで教えてもらえず、
接触はできなかった。
ただ、X岳周辺はこの地域でも比較的気候に恵まれ土地も肥沃なため
田畑の作物もよく採れ、また山の資源が豊富で、
暮らし向きが昔から豊かであった。
よって巡礼者への施し・弔いをする余裕はあったものと推測される。
別添「聞き書き」に登場する老人「儀助」について
X岳を管轄する自治体に問い合わせても
「儀助」だけでは調べようがないと突っぱねられた。
また出身地も分からない以上、「儀助」についての調査は困難である。
「お参りさん」なる言葉も、地元郷土史家・郷土資料館ともに史料は一切無いとのこと。
結論
「お参り」と称し、
生産年齢からはずれる者たちが集落より実質追い出されて行き倒れになるという、
忌まわしい風習の舞台となったことを早く忘れたい住民感情が記録の保存を拒み、
X岳麓摩崖仏巡礼の史実が風化してしまったと考えられる。
これ以上の調査は却って住民感情を逆なでし一層調査を困難にし、
ひいては特集の放映自体にも悪い影響を与える懸念も出てきたため
調査の続行は困難と判断し、別添「聞き書き」のみ提出する。
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