捨て猫はカウベルを鳴らして

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開店準備をしていたとき、ドアに付けたカウベルがためらいがちに鳴った。 三橋が丁度ピザの窯に火を起こしかけたときだ。客にはまだ早い、窯に火を入れるときの 神聖な気持ちを削がれて、うんざりして振り向くと、そこに亡霊のようにサヨリが立っており、まるで五年もの月日の経過を帳消しするみたいに、やぁ、と左手を小さく振った。 右手には大きな黒いスーツケースを引いている。大きな目と細く尖った鼻筋、痩けた頬は長い髪で隠れることはない、薄い唇にはルージュさえ引いていなかった。  三橋は驚きをぐっと呑み込んで、ピザ窯から離れると呼吸を整えゆっくりとサヨリと向き合う。 「もんちゃん、死んだよ」  サヨリが頷いたので、知ってたのか、と思った。 「まぁ、掛けたら」  立ったままのサヨリを促して、カウンターに煎れたばかりの珈琲を置くと自分も愛用のカップに注ぐ。途切れた会話の糸をふくよかな香りがやんわりと結んでくれたのか、珈琲のカップを手に取り、サヨリが言葉の口火を切った。 「私のカップ、まだあったんだ」  両掌で珈琲の温もりを愛おしそうに抱え込む。
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