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捨て猫はカウベルを鳴らして
客が引いた店はがらんとしている。まるで闇を切り取った洞のようだ。照明を落とした壁の
振り子時計は、いつの頃からか、一〇時で止ったきり、昭和の佳き時代から一分として動く気配もない。
三橋(みつはし)はいつも通り、愛用のマグカップにホットウイスキーを作りカウンターに座る
と、まずは一口呑んで喉を湿らせた。今日の仕事を終えた自分へのご褒美だ。
何ら変らぬ店…。店の奥、突き当たりの壁一杯に描かれたパリのカフェテラス。幼馴染みだった絵描きのもんちゃんが描いてくれたものだ。
このビルの三階に間借りしていたときに、滞納した半年分の家賃代りにと描いたのだ。もうかれこれ三年も前の話だが、これを描いて半年後に死んでしまった。
うんざりするほど蒸し暑い夜更け、酔って階段を踏み外し首の骨を折って、それでも三日は生きていた。
折れた骨に声帯が潰れて声も出せず、血管も潰れて青膨れた顔の閉じた目尻から涙が糸を引い
ては落ちていた。セーヌ河の少し滑りを帯びた川面が薄暗い店の奥で濡れたように光っているのは、もんちゃんのあのときに涙の色に思えた。
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