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優しく微笑んだ老人は、その手を朱雀の目の前に翳した。
はっとして身を引くより早く、老人が告げる。
「お休み」
圧倒的な睡魔に引きずられるまま、朱雀の意識は暗転した。
弾かれるように開いた目に、見慣れた天井が映る。
詰めていた息を細く吐き出し、両手で顔を覆った。
そうだった。
あのとき、自分は置いて行かれたのだ。
結果から言えば、師は帰って来た。
傷を負い、それでも約束を違えずに。けれど、その傷が元で長く臥せった後、他界した。
看取ったのは、他でもない自分。
無理にでもついて行くのだったと、何度も悔いた。
なのに、なぜ、忘れていたのだろう。
朱雀は顔を覆う手を外し、薄闇の中で自分の掌を見つめる。
もし、あの時ついて行っていたら、どうなっていただろう。
師を守ることができたか。
それとも。
安定しない鬼の力に引きずられ、暴走してしまったか。
どちらとも分からない。
暴走して、この手で師を殺してしまう可能性だってあった。
何が最善だったかなど、結局いつまで経っても分からないのだ。
悩んだところで過去は変えられない。
時間の無駄だ。
胸の内で言い聞かせ、窓の外へ目を向ける。
とろりと滲んだ月が、ぼんやりと中空に浮かんでいた。
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