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授業開始の鐘が鳴ってしまった。誰かが電気を消していったらしく、薄暗い教室には出遅れた自分たちしかいなくなっていた。
「ごめんね、俺のせいで授業遅れちゃって」
大きな身体が申し訳なさそうに小さくなる。
「別に、大丈夫……」
顔がいいっていうのも大変なのだろう。今しがたの出来事を見ていれば何となく察することはできる。
二人きりの教室。女子の目もないしわざわざ更衣室に行かなくてもいいだろう、と指定のジャージを取り出す。
静寂が包んだ。
「もしかして、怒ってる?」
素っ気ない返事が気になったらしい。
「……怒ってないよ。癖、みたいなものなんだ」
ブレザーを脱ぎ椅子の背もたれにかけた。袖も裾も床にはつかなかった。男子の中では小柄で華奢だという認識はある。つるむ奴らも背は高いので、仕方ない、いつか伸びると思うようにしているのだ。しかし、こういう些細なことの方がかえって周りとの差を実感させる。
「……昔から、上手く感情を表に出せないんだ」
ネクタイの結び目に指をかける。スルッと解いてブレザーの上に引っかける。ワイシャツのボタンを外していると、小野坂が小さくぽつりと言った。
「……ごめん」
「どうして謝るの?」
「なんか、聞いちゃいけないことみたいな雰囲気だったから。だから、ごめん」
軟派そうな彼だが根は真面目なのかもしれない。そして鋭い。誰も気付かない、誰も気にしない、そんな僅かな反応。踏み込んで欲しくない心のテリトリーを、会って間もない彼に見透かされたような気がした。
「……鋭いね、君は」
「えっ?」
「何でもない」
ベルトを外してスラックスからジャージに履き替える。
「……」
履き替える間のほんの僅かな時間。左膝の横にある約5センチの縫い傷とその周りに残るいくつかの傷痕。聞かれはしなかったものの視線は正直だ。
「今度は聞かないんだ」
「聞いて、欲しいの?」
「……いや」
話したくない。誰にも。
心の奥底に沈めておきたい。
たとえ、前に進めなくても。
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