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特異な事例だ。冬姫もより慎重に事を運ぼうとする。
こういった場合、あらゆる可能性を求めるべきだ。
それが私達二人の教訓であり、彼女はそれに倣う。
「想像妊娠、というものをご存知ですか?」
「想像……」
「実際には妊娠していないにもかかわらず、
妊娠における兆候が現れる、一種の心身症なのですが――」
「そんなはずない!」
机を叩く工藤。あからさまな怒り。
突然の剣幕に、私は思わず反応してしまう。
「私は、私には――いたんです。絶対に、赤ちゃんがいた! 嘘じゃない。
産もうって決めてた。検査もした。つわりもあった。決めてたのに。私の子どもなのに。
どうして、どうして……」
ただ「どうして」を繰り返して、また並列に机をどんどんと叩き続ける。
工藤はもはや壊れたスピーカーだ。これ以上の対話は見込めない。
周囲の目も集まりつつある。このままいけば私達も店側も、誰も得しない。
冬姫と示し合わせて、私は工藤の肩を持ち上げた。
力なく垂れる工藤の体を、もはや引きずるように。
泣き止むのも待たずに、私は激しく上下する背中を抑えて、彼女を出口に誘導する。
外は相変わらずの雨で、分厚い雲に日光はほとんど遮られていた。
青みがかった影の中を進む。
途中、彼女の涙が、私の腕になすりつけられる。
気持ち悪い生ぬるさ。雨と同じ熱と、更に増した粘度を持った雫。
拭いたいが、手は塞がっている。
どうして彼女は、ここまで熱い涙を流すのだろうか。
――もはや疑うことは出来ないだろうと、冬姫は言った。
「私は彼女を家に帰す。玲華、今日はここまでだ」
近くのパーキングに止められた、冬姫の車に工藤を載せて、今日の仕事は終了した。
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