第1章

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 増水した河は、土手ぎりぎりまで迫っている。いつもは空の下にある川縁は水の底になっていた。 「モモのお墓が……」 「ああ……」  とっくに土は流されて、子猫の死体は水に流されてしまっただろう。くるくる、くるくるとまわりながら流されていく猫の死体。そして自分の娘…… 「猫ちゃんかわいそう……」  まるで何かにとり憑かれたように、女の子は走り出した。  俺はカサを投げ出し、そのあとを追った。  俺は娘を助けることができなかった。でもこの子は助けられるかも知れない。  俺の両腕が女の子の胴をとらえたのと、女の子が河に足を滑らせたのはほぼ同時だった。  小さな女の子一人の体。支えられないはずはないのに、俺は女の子と一緒に濁流に落ちていった。  冷たい水が一瞬で体温を奪っていく。  女の子はしっかりと首にしがみついた。背中から抱き着いたのに、いつの間にか俺は少女と向い合せになっていた。きつい腕の中でどうやって体を反転させたのだろう。「大丈夫か」と聞きたかったけれど、空気を吸おうとするたびに、口から水が流れ込みしゃべることができない。  蒼褪めた女の子の唇が開いた。 「自分の娘は助けなかったのにね」  大人びた口調だった。 「え?」  首に回された腕が、拷問具のように固く締まる。  女の腰が、背が、一瞬で何十年も歳をとったように大きくなる。増えていく体重が、重りのように俺を水面から引き離していく。  息ができず、霞がかかったような頭に、どこかで聞いたことのある声がガンガンと鳴り響いた。 「『仕方のないこともある』? 『死んだら苦しみも悲しみもない世界へ行く』?」  少女は、いつの間にか見慣れた姿になっていた。離婚した妻の姿に。  ああ、娘に似ていると思ったのも当然だ。娘は母親似だったのだから。 「なにを都合のいいことを……あなたは何も変わっていない。あなたの不注意で娘のミナは死んだのに!」 肺から空気が逃げ、代わりに濁った水が流れ込んでくる。苦しさに胸をかきむしり、少しでも水面に出ようともがくが、無駄に血の中の酸素を消費するだけだ。  肺に残った最後の息を吐き出すと、俺の意識は遠ざかっていった。 「ねえ、知ってる? この前水の事故があったでしょ?」 「ああ、あの……ミナちゃん、だっけ? ひどいわよね。お父さん、スマホで遊んでてちゃんとみていなかったんでしょ?」
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