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振り向いた澤田ヨシ子は、穏やかな表情をしていた。
そして、自分の腕時計を外し差し出した。それを俺は黙って受け取る。
自分の物じゃないのに、左腕に付けるとしっくりと収まった気がした。
少しだけ画面にヒビが入っている。そうだ。俺はあの日、眼下に見える大きな河まで降りてみようと歩いていた。
すぐ戻るつもりだったのに、ぬかるんだ道に足を滑らせて、その拍子に腕時計を……。
「……きっと、彼は……寂しかったんだと思います。貴方にそう言ってほしくて……自分の、何も成し遂げられなかった人生を、認めてもらいたくて。……ずっと……貴方を待っていたんだと思います」
就職活動がうまくいかなかったからではない。
金がなかったからではない。
きっと俺は、寂しかったのだ。
孤独であることが。何の意味もないこの人生で、親しい人もおらず、誰にも求められない自分が。それが悲しくて、虚しくて、死を選ぼうとした。
人は死ねば、全てが無になる。
人生に意味なんてない。それでも、最期に俺のことを仲間のように接してくれた貴方が、俺の人生の中でたったひとつの光だったのかもしれない。
「さて、行こうかね。お前さんも一緒にどうだい」
澤田ヨシ子は満足気に微笑むと、歩き出した。
腕時計を見ると、その針が動き出したような気がした。きっと気のせいなのだろう。でも、確かにそう見えたのだ。
俺は前を向いて歩き出した。
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