岡田以蔵、その死

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 八月十八日の政変。  これで尊王攘夷派は京都を追われることになり、土佐勤王党も立場が一気に悪くなる。  以蔵はその少し前に脱藩したものの、京での数々の暗殺が原因で追われる身となり、幕吏に捕まって京都を追放された後、そこで土佐藩吏に捕まり、土佐藩の獄に繋がれる。  土佐勤王党には吉田東洋暗殺の容疑もかかっており、吉田東洋を重用していた山内容堂が復帰した土佐藩では、吉田東洋を殺害した彼らに厳しい拷問を加えて、これまでの罪を吐かせようとした。  以蔵は嘘を多数混ぜて、自白をした。  上士である武市には拷問できない以上、以蔵たち郷士には勤王党の罪を吐いてもらわねばならない。  山内容堂は勤王党を処分するため、早く自白させろとせっついて来る。  土佐の藩吏は一計を案じた。 「……なんじゃ、もうあれ以上、話すことは無いぞ」  牢から連れ出された以蔵は、口の端を吊り上げて笑った。 「それとも、また違う拷問の方法でも思いついたか。暇じゃのう」 「いや、拷問はせん」  意外な言葉に以蔵が目を瞬かせると、藩吏は静かに口を開いた。 「以蔵、お前には弟がおるそうじゃな。お前がこれ以上話すことは無い言うなら、弟、岡田啓吉に聞いてみようか?」
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