岡田以蔵、その死

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「誠に婦人にても聲を出さんことおもへハ、以蔵がよふなものハ誠に日本一のなきみそとおもひ候」  拷問を受けた以蔵が同志の名を口にしたと聞いた武市は、以蔵は女性すら声を出さない拷問にも耐えられない日本一の泣き虫だと酷評した。  では、武市はどれほどの拷問に耐えたかというと、上士である武市は拷問されていなかった。  それどころか、牢番からかまぼこなどの食べ物、酒や菓子などの嗜好品を差し入れてもらい、煙草を吸えていた。  牢番たちと交流し、家族や同志と手紙のやりとりもできるようになり、ネズミが出れば猫を入れてもらい、季節の花まで差し入れられる獄中生活を送っていたのだ。 「あのような阿呆は早く死んでくればよけれど、あまあま御国へ戻り、誠に言いようもなき奴。さぞやさぞや親が嘆くろうと思い候」  武市はこれまで自分の手足となって人を斬り続けた以蔵をそう評していた。  慶応元年閏5月11日。まだ維新半ばの時期に以蔵は打ち首となる。
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