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第一章 プロローグ
今日も眩しい朝日が顔を出した。
浅間裕一は手に持ったモップの手を止めた。浅間の仕事は、地下鉄の深夜の清掃員。
終電の終了と共に、地下鉄ホームの清掃から始まって、駅中地下街の清掃、そして、地下鉄の始発前に、地下鉄の出入り口のシャッターを辿って、地下から地上に向かう階段を清掃するのが日課である。
丁度、階段の清掃をする時間帯が、太陽が昇る時刻と重なり、その事がこの仕事の唯一の楽しみでもあった。いくつになっても、朝日を全身に浴びるのは、気持ちのいいものだ。浅間は、今日の仕事を終え、帰路に着こうと控室に入った。
「浅間さん。着替えが終わったら、ちょっと、寄ってくれない」
珍しく駅長が声を掛けて来た。
着替えを済ませた浅間は、駅長室のドアをノックした。
「どうぞ」
中から駅長の声が聞えた。
「失礼します」
浅間はドアを開けた。
「まあ、遠慮なく、そこに掛けてくれ」
浅間は駅長に促されるままに、駅長の向かいの席に腰を下ろした。
「君がこの仕事について、何年になる」
駅長は、徐に話を切り出した。
「前の会社を五十五歳で早期退職してからですから、彼是十年と言った所ですか・・・」
「もう、そんなになるかね」
「それが、何か・・・」
「実は、海外の安い労働力を使った清掃会社が、うちに売り込みに来ていてね」
「というと、うちの会社はお払い箱ってことでしょうか」
「私は反対をしているのじゃが、上層部の方がどうもねえ・・・」
それから一ヶ月も絶たない内に、浅間が勤める清掃会社は、地下鉄の清掃の仕事を打ち切られ、余剰人員となった浅間もまた清掃会社から解雇を言い渡された。
五十五歳で早期退職した時は、子供も社会に巣立って、夫婦二人暮らしの第二の人生のスタート。仕事は現役時代と異なり、単調なものではあったが、その分、ストレスを強いられる事もなく、夫婦二人が年金給付を受けるまで食い繋ぐには、いい仕事だと思っていた。でも、そんな妻も昨年の暮れに旅立った。
幸いにも年金受給の歳まで、上手く食い繋いだものの、仕事以外の趣味を持たなかった自分には、この職を失った後、やるべき事は何も無かった。
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