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心臓の音が嫌に耳に付く。誰かこの状況を、夢だと言ってくれないだろうか────。
高層マンションの一室。目の前の椅子に長い足を組んで座る男は、顔面蒼白な俺を前に眉一つ動かさない。
「別に、君が拒否するならばそれでも良い。ただ────」
そこ迄言うと、男は手元にあった数枚の紙に視線を走らせた。何が書いてあるかなんてもう、今の俺にはどうでも良かった。どうせ俺にとっては悪夢みたいな事が無機質に書かれてあるだけだ。存分にタメを作った後に、男は深い溜息を吐いた。
「借金は減らないし、何より俺は武志さんから頼まれたからねえ」
武志──それは俺の父親の名前の筈だ。
「冬弥君、どうする?」
男は馴れ馴れしく俺の名前を呼んだ後、冷たい瞳を投げ掛けた。いや、馴れ馴れしいと言うのも語弊がある。この男と俺は元々面識があったのだから。だがいくら顔見知りと言えど、この男の要求を飲めばとんでもない事になる。そんな事は分かり切っていた。けれど────。
「……俺に、選択肢はある?」
絞り出した声は、心なしか震えている気がした。全身から血の気が引いていて、それなのに何故か噴き出した汗がジッとりと纏わり付き気持ちが悪い。吐きたい。
「ないね。まあ焦らなくても良いよ。一週間、時間をあげるから、身辺の整理をしなさい」
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