第五章 変化の兆し

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 その日の演目は『子別れ』。別名子は鎹と言うものらしい。当然俺は知らない。ただ周りが身を乗り出す様にのめり込む雰囲気に何となく倣ってみた。 「かくばかり偽り多き世の中に子の可愛さは真なりけり──」  出だしは酒乱で女ったらしの大工の亭主に愛想が尽きて、女房が子供と出て行ってしまう所から始まった。この切り出しで人情噺だろうとは大方予想が付く。今更俺が何を聞いて感動する訳でも心を掴まれる筈もない。  ただ不思議なもので、この初老の男の所作の一つ一つに、不思議な愛情が滲み出て見えた。この男には子供がいるのかもしれない。もしかしたら嫁を泣かせて来たのかもしれない。そんな憶測すら頭を過る程に、彼の話し口調は温かみがあった。  話しに戻ると、その大工は直ぐに新しい女を家に置くのだけれど、それも他所に男を作って逃げてしまう。そこで漸く目が覚めて、大工はそれから真面目に働いたそうだ。三年後に息子と再会した大工は、次の日鰻を奢る約束をして母親に内緒でと小遣いを渡す。母親は帰って来た息子が金を持ってる事に酷く怒り、結局子供は父親と会った事をバラしてしまう。だけど母親は父親が真面目になったと聞いていても立ってもいられず、自分も一緒に会いに行くのだが、二人は照れてしまって上手く事が運ばない。見兼ねた子供が、また一緒に暮らそうと必死で訴えるものだから、二人は寄りを戻す事となる。そんな、単純な話しだ。  落語家は袖で目尻拭い、女房の動きを演じる。 「やっぱり子は、夫婦の鎹だねえ」  そう言うと直ぐに、まるで少年のような笑顔を浮かべた。 「へえ、オイラ鎹かい?どうりでおっかあは、怒るといつもトンカチでぶつぞって言うんだ」  そう締めくくると、丁寧に手を付いて頭を下げ噺の終わりを示した。
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