第五章 変化の兆し

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「本当は、俺、やっていないんだ」  そう言ったらこの人は、何と言うのだろう。それが何故か凄く気になって、無意識に口をついていた。 「そうか」  答えはたったそれだけ。それだけなのに、その言葉は何もかもを分かってくれたような気にさせた。 「母さんの事ずっと憎んでいたんだ。ずっとずっと傷付けて来た。きっと沢山泣かせて来た。だけど、ごめんなんて言うから……」 「だがお前さんはお袋を救えたんだろう?それで良いじゃねえか」  どう言う意味だと隣の男に視線を投げ、俺は思わず息をするのさえ忘れた。空を仰ぐ横顔は、血反吐を吐く程に悲しみ抜いた男の顔だった。 「お前さんはまだ間に合う。ここ出たらちゃんと、お袋さんと向き合えよ」  そう言って頭を撫でられ、耳に触った刈り上げた髪がジャリと鳴る音と、触れた掌のあまりの優しさに、何故か涙が溢れた。  こんな風に優しくされた事なんか今迄で一度もなかった。優しさの裏にはいつでも欲望が潜んでいる。だから人間なんて信じて来なかった。信じる価値すらない生き物だと思っていた。  ……でも、そうじゃないのかもしれない。それも全てが、俺の蒔いた種なのかもしれない。俺が誰も信じないから、俺が誰の事も考えないから、だから周りの人間もそんな俺に近付いた。信じられていないのなら、何をしたって変わらない。優しい言葉すらかけない男や、最初だけ優しい男。その誰もが、身体を求めた。けれど隣の男は俺を抱く気もないのに優しさをくれた。ただ無言で空を見上げる横顔は、俺を認識していないようでいて、そこにちゃんと居場所を作ってくれている。  俺は生まれて初めて、心の底から安らぐ場所を見付けた気がした。この人の隣にいたい。それは汚れ切った俺が感じた嘘偽りのない、本当だった。  誰かを傷付け自分が傷付いてでも手に入れたいものなんか、この世にはない。そう思っていた。でもどうやら違ったみたいだ。俺は自分が欠陥品だと今でも思っている。  けれどこの瞬間、この刑務所の中だけ、夢を見る事を、どうか許して欲しい。 変化の兆し・完
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