第十八章 優しい記憶

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「もう良いよ、米倉さん。とっととやってくれる?早くこの下らない世を離れたい。あんたの厳つい顔も見飽きた所ですよ」  小馬鹿にしたように言い捨てた俺を見て、米倉さんはふと小さく笑う。 「下手くそ」  伸びた指先が、俺の存在を確かめるようにゆっくりと頬を撫でて行く。使い込まれ硬くなった武骨な感触が酷く、優しい物のような気がした。この世に未練はないが、少しだけ不安になった。 「ちゃんと……忘れられますか?」  俺を忘れ、前を向いて生きて行けますか?そう問うた自分の言葉は、こんな俺でも込み上げる物があった。今なら、言えるのかもしれない。 「米倉さ────」  長年言えなかった大切な言葉を贈ろうと薄く開いた唇に、そっと押し当てられた指先。心臓が一瞬、動くのを止めた。 「忘れてやらねえよ」  そう小さく囁いて離れて行く骨張った手を、咄嗟に掴む事が出来なかった。直感は叫び続けていたのに。この手を、離してはいけないと。  無造作に置かれていたトカレフに手を掛け、鍛え抜かれた腕がそれを持ち上げた。黒い銃身が、見せ付けるようにゆっくりと黒髪に沈んで行く。追い付かない頭でも直ぐにこの男が何をしようとしているのか手に取るように分かった。それと共に湧き上がる不安が、悪夢のような未来を容易に頭の中に浮かべた。 「……悪ふざけはやめましょう?あんたの悪い癖だ」  トカレフに安全装置なんて物はない。その人差し指が引鉄を引いてしまえば────自分でそう考えておきながらゾッとした。
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