第二章 寂寞の部屋

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 そっと手を伸ばし、少し痛んだ黒髪に指を通す。さらりと指を抜けて行く音が静かな病室に微かに響く。だが土田陽介のように惚ける事もなく、冬弥の黒い瞳は相変わらず唯俺を見据えていた。 「冬弥」  それでも名前を呼べば、微かに表情が切なく歪む。心の奥底から湧き上がる笑いを俺はゆっくりと噛み殺した。  今でも俺を想っているなら、そんな甘えた幻想を踏み潰すのが俺の役目だ。 「だから、何?何時迄も過去に縋ってみっともない。どう足掻こうとも君と俺の時間は終わったんだよ」  我ながら最低の台詞も、滑る様に口をつく。泣くかと思ったが、最初に流した涙以外、その頬を濡らす事はなかった。握り締めた拳を解いて、冬弥の冷たい手が頬を滑る俺の指を絡め取る。 「だったら……もう一度始めても良いんですか?」  一瞬、不覚にも思考が止まった。何の為に?何の意味がある。 「傷付く事が分かっていながら進むなんて、愚かだとは思わない?」 「愚かでも良いよ」  さっき迄の弱々しさ等微塵も見せず、冬弥は迷い無く言い切った。つい深い溜息が唇から漏れ出て行く。全く面倒だ。だがどうしても引かないと言うのなら、こちらにも手が無い訳じゃない。枕元のスタンドに置かれていた財布から適当なレシートを取り出して、俺はその裏に自宅の住所を記した。 「覚悟があるならここにおいで」  もう一度始めて、そして今度こそ、君を縛っていたチンケな未練なんて断ち切ってあげる。  レシートを握り締め、病室を後にする背中を見送って、俺はゆっくりと瞼を閉じた。目を閉じてしまえば何処も同じ。どんな高いスイートルームも、高層マンションの一室も、ボロアパートの牢獄も。  隙間風さえ忍び込めない、がらんどうだ。 第二章・完
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