第三章 歪な波紋

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 沈黙を守り続ける車が幹線道路を抜け細い道を進むと、やがて下町情緒溢れる街並みが姿を現した。懐かしく感じるのは、東京に出て来たての頃に住んでいた街に似ているからだろうか。低い平屋の隙間を縫って点在する赤錆の浮いたアパート。ポツンポツンと見受けられる寂れた商店に、黒い煙を吐き出す銭湯。同じ東京の筈が、俺の住む街とは流れる時さえ違うような錯覚を覚える。だが古き良き時代とは良く言った物で、例に漏れず俺もこの街並みは嫌いじゃない。  そんなノスタルジックな景色に思考を奪われている隙に車はこの辺りでは大きめのマンションの前で止まった。車から降りて後部座席の扉を開ける慎太郎の表情は何処か浮かない。大方雪が心配なのだろう。しかし喧嘩を売ったのは雪の方だ。どんな目に合おうが自業自得。  そもそも俺はそう言う人間だ。気に食わなければ簡単なきっかけで暴力に訴えるようなド底辺のチンピラと同じ。だが自分の奥底に眠るそんなバカげた狂気も今では飼い慣らしてはいる。前科者ではあるが雪が堅気の人間である事も大きい。相手が堅気じゃなかったら、俺はこの湧き上がる静かな怒りをも抑える事は出来なかっただろう。それに、今は会社を経営している身。下手は打てない。  社会の目を欺いて、法の網目を掻い潜り、人生を金儲けの為に浪費して行く。……つまらない人生だ。全く反吐が出る。  六階迄の短い道程、そんな途方もない所迄思考は沈む。俺の悪い癖だ。
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