第三章 歪な波紋

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 俺も何度か訪れた事のある山室の家の扉を慎太郎がゆっくりと開く。鍵もかけてないなんて無用心だな。そんな事を考える俺を置いて、慎太郎は遠慮も無く家へと上がって行った。その背中を追い掛けリビングに顔を出すと、山室と雪が並んで純平に字を教えている所だった。 「将生!」  デカい子供は俺の姿を目にするとまるで犬のように飛び付いて来た。その様子に二人揃って顔を上げると山室だけが小さく頭を下げる。 「お疲れ様です。どうですか?身体の方は」  そんな事はどうでも良い。 「何で来たか、分かっているよね?」  腰元に抱き付く薄い色の髪を撫でながらなるべく静かに言い放つと、一瞬にして狭いリビングに緊張の糸が張り詰める。微かに焦りを見せた山室とは対象的に、俺の視線の先の人物は表情を微塵も崩さない。 「雪は俺の気持ちを一番理解してると思っていたけど?」  慎太郎より、山室よりも付き合いが長いのは雪だ。この驚く程に美麗な顔立ちの男がまだ十七歳の時から俺はこいつを知っている。快楽に溺れ遊んで、挙句面倒になって切り捨てたうちの一人。俺の性根に近いものを持ち、そして山室に出逢い重い暗闇を抜けて行った人間。  睨み合う時間だけが流れ、雪は俺の問い掛けに中々答えを出さない。それが無駄な時間に感じて、俺はさっきより強く問い掛ける。 「どうして冬弥に居場所を教えたりした?」 「じゃあ逆に聞くけど、何で冬弥に未練を残した?」  半ば食って放たれた言葉に一瞬にして全身の血が引いて行く。目の眩む程の衝撃を受けたような、不気味な寒気が背筋を駆け巡った。 「ねえ、知ってる?あんたが姿晦ました後、たまに冬弥が俺に電話して来てたの」  そんな事を俺が知る訳ないし興味も無い。だがゆっくり立ち上がった雪が、不思議とこの世で何よりも恐ろしい物に思えた。 「変だなと思ったよ。あんたは何時も未練すら残してはくれないからね。だから隆司さんに何でこうなったのか詳しく聞いた。……驚いたよ。あんたらしくない」  俺は無意識に雪の胸倉を掴み上げていた。放り投げられた純平の小さな悲鳴が何処か遠く耳を掠った気がしたがどうでも良い。
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