第四章 仔兎の逡巡

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 事の始まりは、眠る街が漸く動き始めた早朝に掛かって来た一本の電話からだった。 「将生さん、倒れたって」  寝ぼけた頭が一気に冴え渡り、心臓が大きく脈打ち始める。困惑する俺を他所に、電話の向こうの雪さんは小さく息を漏らした。 「……黙っててごめん。俺、居場所知ってた」  驚きはしなかった。そうだろうとは予想してたから。 「どうする?冬弥」  この後に及んで、その判断を雪さんは俺に託してくれた。迷わなかった訳じゃない。怖かったから。捨てられた身分で、疎ましく思われない筈はないから。それでもこれを逃したらきっと、二度とは会えない事も分かっていた。 「会いたい」  寝起きの掠れた声は、それでも強い力を持っていた。 「……分かった」  それだけ言って切られた電話の無機質な電子音を聞きながら、息だけが荒く胸を上下させていた。  それからメールで教えられた病院に行って、俺は焦がれた人と再会を果たした。やっぱり突き放されて、それでも縋った俺に白井さんはチャンスをくれた。  レシートの裏面。見惚れる程に綺麗な文字で書かれた住所を見詰め、何度目かの溜息を漏らす。ここに行ったら会える。もう一度始められる。だけど白井さんの言った覚悟が、俺にはまだ付かなかった。こんな時迄女々しい自分が心底嫌になる。
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