温かい

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ポツンと窓に雫がつく。 「あ……」 「あー、降ってきたな」 あっという間に道路が灰色から黒へと変わる。 「雨の日は、嫌い」 いちごミルクのコップからもう湯気は出ていない。 「そろそろ行かなくちゃ」 「なぁ…… 行くなって言っても行くんだろ?」 少女が一瞬だけ、迷ったように視線を彷徨わせる。 「う、うん」 「俺さ、ずーっと待ってたんだ。お前が来るかなってさ」 「うん」 「この奥の席ってあまり人がこないだろ」 「うん」 「だから、まだ行くなよ」 「でも……」 「どんな目で見られてもかまわないから。だから居てくれよ。行くなよ!」 「ごめんね、ごめんね」 窓から見える横断歩道の信号が点滅し始めた。夜の国道は、信号が黄色になってもなかなか止まらない車が多い。 あの日、降り出した雨に少女は急いで横断歩道を渡ろうとしていた。信号はちゃんと青になっていたはずだった。 おせーよ、と貴裕が走ってくる少女を見つめ、呟いた瞬間にスピードを出した車が視界を横切る。 「え?」 あと少しで渡り切るはずだった彼女の姿はどこにも見えない。数10メートル先で車が急停止して、悲鳴が聞こえた。 「俺が駅まで迎えに行けば!」 「泣かないでよ、貴裕」 泣き虫なんだから、お兄ちゃんはさーと、困り顔をした少女はポンポンと貴裕の頭を叩く。 「行くなよ、頼むよ……」 「ごめんね。心配かけて」 あの日、事故が起きた時間にもうすぐ、なる。 「お兄ちゃんさ、生きてちゃんと私の分まで働いてよ?そんでさ、たまにはいちごミルク供えてよ。これ、可愛い妹との大事な約束ね?」 「可愛い妹って自分で言うかよ」 涙が出て声が詰まる。鼻も目も、心も全部全部痛い。 「じゃあね」 一際、雨が強くなった気がした。誰もいない席に置かれたままの、減っていないいちごミルクを貴裕はぼんやりと見つめた。 「お客様、こちらお下げしますか?」 誰もいないのにひたすら独り言を言っていた貴裕を気味悪そうに見ていた店員が恐る恐るコップを下げようとする。 「まだ、まだそのままでお願いします」 「は、はい」 店員が慌てて下がっていく。 「ああ、今日はひどい土砂降りだな」 だって前が良く見えないんだ。店の中なのにさ、ひどい雨が降ってるんだよ。 貴裕は頬に伝う雫を拭わず、そう呟いた。
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