三月下旬

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 夏休みの終わる直前、街中でばったり先輩に会った。驚いたことに、向こうが俺に気付いて声をかけて来たのだ。勿論俺もとっくに先輩を見つけてはいたが、周囲から注目される彼女に自分から近づく気はとても起きなかった。自分のチキンっぷりが情けない。  先輩は私服姿だったが、彼女が洋服を着ているのを見るのは変な気がした。それを口にすると、表に出るのに和服なはずあるかと呆れられた。言われてみればまったくその通りである。  チキンな俺にお茶しませんかと聞く度胸はなく、結局その日はその場で別れた。後日友達には盛大に笑われた。  学校が始まってからも、当然稽古は無くならない。  そして、俺にとって初めての大会があった。まぁ、俺自身は惨敗だったが。初めて一年も経ってないのに勝てる程甘い世界でも無いらしい。  しかし、その大会は先輩の凄さを改めて思い知る機会でもあった。先輩は破竹の勢いでトーナメントを勝ち進み、見事決勝まで残ったのだ。  決勝では、強豪校の三年生と熾烈な争いを繰り広げ、なんと先輩は優勝してしまった。しかし試合後も、受賞の時も先輩は眉一つ動かさず無表情を保っていた。  陰でひっそり喜んでいたのは俺だけが知っている。俺が知っていることを先輩が知っているかは知らない。  そこから暫くは普段の稽古以外に先輩と会う機会も無いまま、俺達は進級した。  去年同様に先輩が舞台に立ち、先輩目当ての新入生が津波の如く押し寄せた。去年と違うのは、うちの学校の知名度が上がったのかそれなりに腕が立つ生徒もいたことだろうか。(彼らに全く下心が無かっただろうとは言わないが)  そして、六月の大会がやってきた。今回は一本取り、先輩が初めて俺を褒めてくれた。後輩の凄い奴が普通に何試合か勝っていたからといって嫉妬しない程に喜んだ。  先輩は今回も順調に勝ち進み、決勝で去年と同じ高校の、しかし当然ながら去年とは違う相手と対戦した。両者一歩も譲らず延長にまでもつれ込んだ試合は相手方の勝利で幕を閉じた。  これで先輩の引退が決まった。帰りの車の中で、俺は先輩が泣くのを初めて見た。  先輩含め三年生は引退し、俺が次期部長に選ばれた。技術面では無く真面目に稽古に打ち込む姿勢が評価されたらしい。動機は不純そのものだが。
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