10人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
事もあろうに、父の不倫相手は母の親友であった。母の親友は、愛に溺れ、友情を棄てた。母への当て付けにわざと見せつけるが如く、二人で撮った写真を送り付けてきたこともある。
専業主婦で金銭面からなかなか離婚へと踏み切れなかった母のために、私は大学卒業後すぐに大手企業に就職し、離婚させた。けれど、遅すぎた。そのときには母は精神の病を抱えてしまっていた。
母が不幸だったのは、父を愛していたからだ。嫌いになれれば良かったのに、母は父を愛しているがゆえに苦しんだ。
私は、父と父の不倫相手を恨んだ。
恨んだからといって父に抑圧されることに慣れてしまった私には何もできはしなかったが、心底、軽蔑した。
私は、父を、そして不倫という大罪を、自分自身の全てで嫌悪していた――――。
「やぁ、本田さん。調子はどう?」
黙々と書類にナンバリングをする私に、ルイスが片手を上げながら親しげに声を掛けてきた。
「いつも通り」
「そう。じゃあ、元気だってことだね」
「ええ。ルイスさんは?」
私が最低限の人付き合いに必要な笑顔でそう聞くと、ルイスは少し心配そうに眉を下げて笑った。
「……君はいつも物憂げに笑うね」
突然そう言われ、私は戸惑った。そんなこと言われたこともなかったし、考えたこともなかった。
どんな顔をしていたのだろう。鏡を見たい衝動に駆られながら、私は両手で頬を押さえた。
「僕の経験上、そういう笑顔の人は、とても悲しい経験をしている人だ」
「そうなのかな。確かに家庭環境は悪かったけど」
「そうか……酷い話だよ。
本田さんはとても優しい女性なのに」
ルイスはそう言って、優しいブルーの瞳を向けながら、大きな手でふわっと私の頭を撫でた。
死んでから初めて、ドキッとする。
海外の人は男女でもこういうスキンシップが当たり前なのだろうが、日本人の私には慣れない。
「……世の中には、知らなくていいこともあるんじゃないか」
ルイスが小さくとそう呟いた。
「どういうこと?」
「そんな悲しい経験があるならさ、死んだ理由なんて知らない方がいいんじゃないかって、ふと思ったのさ」
ルイスのブルーの瞳が揺れた。穏やかな海が、小さく波打つように。
「自分が死んだ理由を知ったら、苦しくなったりするのかな」
「……本田さんは、優しいからね」
ルイスは最後にそう言って、“またね”と笑顔で踵を返した。
最初のコメントを投稿しよう!