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余聞。いつかの話。
自ら飲み込んだ王の座の負の部分は、思った以上の昏い闇であった。
それでも彼は、その空間の中を正気を保ったまま、静かに生きてきた。
何度か、意識を揺るがす過去の声が聞こえてくることがあった。『忘れるな』、『憎め』、と言った在り来りな言葉は、彼を堕とすには足りず、軽い響きでしかなかった。それ故に、かつての弟のように中てられることも無かった。
「――諷貴」
何もない空間から、声が聞こえた。
空耳かとも思ったが、憎悪のそれではないと判断し、名を呼ばれた諷貴は顔を上げる。
「誰だ?」
「……誰だと、思いますか」
「っ、まさか……」
諷貴は瞠目した。
疑いようのない声音だった。
だがそれでも、あり得なかった。
誰の侵入も許されないこの空間に、その者だけが入り込めるはずもなく、どう考えても納得が出来ない。
――瀞のような存在が、諷貴の目の前に立っているのだ。
「瀞……なのか?」
「正確には、あなたの言う『瀞』ではありません。ですがそれでも、私はあなたを知っています。憶えています」
「……廻った、のか。魂が……」
諷貴が恐る恐るそう言うと、瀞のような彼は、小さく微笑んだ。それが、肯定の証だった。
――どれだけ、どれほどの時間が流れたのか、諷貴には解らない。だが、目の前の存在は幻でも妄想でもなく、本物であった。
「長く……待たせてしまいましたね。私は貴方を、迎えに来たんです」
「馬鹿を言うな。この場から出られると思うのか」
「……それでも貴方は、私の式神でしょう?」
「!」
その言葉に、体が震えた。
確かにあの時――浅葱をこの場から追い出したあの瞬間、忘れかけていた自分の『印』が、酷く疼いた。それが何であったのかは敢えて確かめなかったが、何らかの術の発動だったのか、と思えた。
それが今ここで、証明されている。
「……私は賀茂家の四代目。名を静柯。三代目を伯父に持つ、陰陽師です。そして貴方は、私の唯一の式神なんです」
「唯一、だと……? 他のやつらはどうしている」
「三代目はご存命ですし、賽貴たちは彼の式神のままですから」
俄に信じがたい話をされている。
だが、このどこか噛み合わない口調は、やはりとても『彼』に似ていた。
「それで、どうやってここから出る? 俺はこれでも王の座そのものだぞ」
「それがまぁ、不思議な話なんですが、三代目と賽貴が頑張りまして。……貴方のその背負うモノ全てを、取り込む球体を作りました」
これです、と彼が差し出してきたものは、手のひらに収まるほどの小さな球であった。かつて藍が握りしめていた、あの球と同じものであり、違うものでもある。真っ黒であったはずのものが、今では透明なそれであるからだ。
「これを、こうして……」
「おい、待――ッ」
静柯はその球を手のひらに乗せたまま、パン、と両手を叩いてみせた。諷貴が止める間もなくそれは弾けて、闇が明ける。
僅かな浮遊感のあと、数年ぶりに感じた光に諷貴は目を細めた。
「……ねぇ、ほら、諷貴。不思議ですよね」
「お前は……」
どういう仕組なのかは解らなかった。
それでも諷貴は、『救われた』のだ。
目の前の静柯が首を傾げて笑うと、かつての彼をそこに見た気がして、諷貴は彼を思わず抱き寄せていた。
「俺のもの、で、良いんだな?」
「そうですね。あの時、貴方の手を取れなかった私を、許してくれるなら……」
「馬鹿だな」
その言葉は、『瀞』そのものの響きであった。
諷貴は苦笑しつつもそれを噛み締めて、腕の中の彼を抱きしめ直す。
これだけで充分であった。
そう思いつつ、諷貴はようやく手に入れた存在の温もりを、いつまでも確かめ続けていた。
終
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