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七話(二)
「諷貴さま……どうしてコレしか、選べなかったの……」
手のひらに収まるほど小さな玉となってしまったそれを柔らかく握りしめて、涙をこぼすのは藍だった。
意識を失っていたとは言え、諷貴の内面に触れていた彼女には、彼の選択の意味を誰より深く理解していた。
だからこそ、何とかしたかった。してほしかった。
どうにも出来ないと解っていたからこそ、望んでいたことでもあった。
「……藍、ごめんね」
「なんで浅葱が謝るの。……誰も、悪くない……そうは思いたくないの……」
「うん、そうだね……」
藍のそばに寄った浅葱がそう声を掛けると、彼女は最も正しい言葉をぶつけてきた。
その率直な言葉を受け止めつつ、賽貴に目を向ける。
藍はその気配を察して、球体を握ったままで場を離れ、朔羅の方へと歩いていった。
「……賽貴?」
「浅葱さま……」
賽貴は項垂れたままであった。
それでも浅葱の声には反応して、ゆらりと顔を上げる。
「良かった。ちゃんと、『賽貴』だね……」
「……っ、……」
自身の傍で精一杯の虚勢を張り、笑顔を見せる主に賽貴は言葉を詰まらせた。
己のしてきたことを忘れたわけではない。記憶としてきちんと残っているこの現状が、今はとても辛かった。
自分ではなかったとは言え、酷いことをこの口が告げた。それにはほんの少しだけ、自分の感情も混ざっていた。そう自覚がある為に、謝罪の言葉を並べることすら躊躇ってしまう。
「……何も言わなくて、いいよ。それより……私を、抱きしめてくれない、かな……?」
浅葱の言葉が途切れ途切れとなる。それを耳にした賽貴は、そろりと己の右腕を上げた。
それでもまだ、躊躇いがある。
だが、主は『今』を求めているのだ。
「浅葱、さま……」
ゆっくりと、浅葱を抱き寄せる。
完全に腕の中に収めてから一息つくと、浅葱が泣きだした事に気が付き、頭に手をやった。
「……ご迷惑を、おかけしました。たくさん、嫌な思いをされたでしょう」
「私は、大丈夫、だよ……賽貴がこうしていてくれるだけで、平気だから……」
浅葱がそう言う時は、強がりを見せている時だ。
それを誰よりも知っている賽貴は、彼女を深く抱き込み直す。
「申し訳ございません。必ずお守りしますと言った自分が、それを出来なかった……」
「……この状況だったんだもの、仕方ないよ。それに私も……もっと何か、出来たはずなのに」
後悔など、幾層にもなったか分からない。浅葱も賽貴も、同様にそれを感じている。
どの選択が正しかったのか。藍を救出するためにこちら側に来たが、それすら間違いだったのか。失っていい存在など、誰もいなかったと言うのに。
「……それでも、こんな世界でヒトであり僕たちの主であるあなたを失うことだけは避けられた。だから僕は、間違ってないと思うよ。自分の選択以外はね」
うまい言葉を見つけられないままの賽貴と浅葱に向かって、朔羅はそんな言葉を投げかけてきた。
自分の選択と後付したのは、白狐の姿になった時のことを言っているのだろう。死すら厭わずの行動は、やはり褒められる行為では無いからだ。
賽貴も浅葱も、彼の言葉を否定せずに受け止めて頷いた。
「――あのね、皆に聞いてもらいたいことがあるんだ」
そして浅葱が、話題を切り替える。
賽貴の腕の中から少しだけ離れ、半歩ほどを前に出てから告げられた言葉だった。
「まだ自分でも確かめられてないんだけど、多分……。私は、ヒトではなくなってしまったみたい」
「!」
朔羅と賽貴が、ほぼ同時に目を丸くした。朔羅の隣に立つ藍も、遅れずに驚きの表情を浮かべる。
「皆、怒らないでね。多分これは、私自身が本能で選んだことなんだと思う。……私は、諷貴さんに魂の一部を渡しました」
「――生かしましたね、兄を」
「うん。だって彼には、式神の印があったんだもの」
浅葱の言葉に絶句したのは、朔羅だった。
割と何でも知っている彼でも、諷貴の真実までには気づけなかったのか。
「……やはり、瀞さまは兄を式神にしていたのですね」
「もしかすると、先々代はこうなることすら見越していたのかもしれない。でも、諷貴さんが自らあの形を取ってしまった以上、再び会えるかどうかの保証は出来ないんだよね」
「……それでも、希望が無くなったわけじゃない」
そう言い出したのは、朔羅だ。
浅葱も賽貴も、そして藍も、その響きに素直に驚いて見せる。
「なに、皆して。そりゃ、僕は諷貴さんや賽貴さんに纏わりついてた瘴気みたいな輩は大嫌いだよ。未だに許せない。……だけど、それでも……諷貴さんは瀞さんが愛した人だからね」
一斉に向けられた視線に肩を竦めつつ、朔羅はそう言った。偽りも躊躇いも一切ない彼の本音だった。
「そうだね。朔羅の言うとおりだと思う。今すぐにとは出来なくとも、いつかきっと、私は諷貴さんを『こちら』に戻してあげたい」
「……うん、うん! 浅葱!」
力強く相槌を打ったのは、藍であった。やはりこの場で一番に感情を動かされているのは、彼女なのかもしれない。
そんな彼女の様子を見つつ、浅葱は微笑んでから小さなため息を吐いた。
すると、その背を静かに支えたのは、傍に居た賽貴だった。
「……賽貴」
「個人的な引っ掛かりはいくつかあるんですが、今は何もお伺いはしません。……とりあえず難は去りましたので、この屋敷もいずれは元に戻るでしょう」
「――それには、お前にも少々手伝ってもらわんとな」
「え……」
最期の言葉に続くようにして、知らない声が聞こえた。
直後、空気が一気に晴れて、室の風景も一変する。
「……っ、父上!?」
「!」
「っ!」
何もかもが綺麗になっていく光景の中、賽貴が放った響きに、その場に居た誰もが瞠目した。
錆色なっていた御簾が見る間に修復していき、その向こうに人影が見える。大きな体躯の男性だ。
「……あなた、は……」
「そなたが噂の陰陽師・浅葱どのか。お初にお目にかかる。このような姿で申し訳ないが、俺は一応、ここを統べる者――そこの賽貴の父でもある」
「お、王帝……」
浅葱達の前に突如姿を見せたその人影。
それは彼自らが語ったとおり、妖の世を統べる者――『王帝』本人であった。
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