九話・完結(二)

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九話・完結(二)

 そこからまた、少しの時間が流れた。 「……あ、あれ……なんだか、今日はうまく髪を纏められない……」  そう言いながら、自分の髪を鏡の前で弄っているのは(らん)であった。  いつもは簡単にまとまるはずのそれが、なぜか今日は上手く出来ないらしい。 「位置がいつもより下、だからでは無いのか」 「え、そう……かな? うーん……あ、本当だ、出来た。ええと、組紐は……あれ?」  右耳の僅かに上の位置で丸く纏めて、一房を出す。それを仮止めしたあと、いつもの赤い紐でくくるのだが、その紐が見当たらなかった。 「紐は、同じものでは無くてはならないのか? 琳と同じものを使っていたようだが」 「あ、うん……でも、いい加減古くなってたからちょっと新調しようかなって……」  藍の言葉に答えを返してきていた一人の影が、ゆっくりと藍の髪に手を伸ばしてきた。  そして彼女の続きの言葉遮るようにして、紐を結ぶ。ちりん、と小さな鈴の音がした。見る限りでは、藍が使っていた以前の紐と、形状は同じであった。 「……颯悦(そうえつ)さん、これ」 「新しく用意した。(りん)へも、同じものを」 「そ、そうなんだ……えっと、……その、ありがと……」  藍が顔を真っ赤にしてそう言った。  隣にいるのは颯悦で、彼と藍の距離は随分と近いものになっているようだ。  言葉も行動もあまり多くはない。  それでも今の『贈り物』は予想外であり、藍はそれがとても嬉しかった。 「ねぇ、颯悦さん」 「なんだ?」 「あたしの色、見つけてくれた?」 「……そうだな、お前は時折その色を変えるところが不思議だ。今の私が感じているのは、花葉色だな」  藍が彼により掛かると、それを小さな笑みで受け止めつつ、彼女の『色』を語る颯悦。彼の目には光が灯らないままだが、何も困らない。  見えないものは補える。空気や匂いや気配、そして藍の存在そのものがいる限りは。 「午後からね、諷火(ふうか)と一緒に市を見に行くよ」 「そうか。彼女も好奇心旺盛に育っているようだな。私は、若君のお世話をさせて頂く」 「まだほんとにお小さいのに、全然泣かないね若君は。我慢強いのは良いところだけど、変なとこ浅葱と似てて、ちょっと可哀想だよ」  若君とは、浅葱の弟のことであった。  二歳になったばかりだが、藍の言う通り我慢強く、あまり泣くことのない子であった。やはり母が厳しく育てているのもあり、それゆえの藍の言葉でもあった。 「……だがそれでも、兄君も父君も甘くていらっしゃる。それくらいで丁度いいのかもしれん」 「そうだよね……あたしもついつい甘やかしちゃうし……可愛いよねぇ、若君」  藍がそう言うと、颯悦も同意するようにして頷いた。浅葱には厳しかった彼も、どうやらその弟には甘いようだ。 「ところで、お前の兄の気配を感じぬが」 「――あぁ、うん。琳は今、『あっち』にいるよ。賽貴さま、やっと帰ってこられそうだから」 「そうか、ようやくか……。仕方の無いこととはいえ、長かったな」  颯悦の言葉が、しみじみと響いた。  皆がそれぞれ、出来る限りで浅葱を支えてきた。特に藍は『友』として、以前以上に浅葱といる時間を増やして過ごしてきた。  浅葱はやはり、殆ど弱音を吐くこと無く、ただひたすらに生きて、一人の存在を待ち続けている。 「幻妖界(げんようかい)のほうも、変わりつつあるようだな」 「……そうみたい。浅葱が関わったのと、諷貴(ふうき)さまのおかげでもあるんだと思う。(そら)の色なんかもね、最近は青い時もあるんだよ。こっちの世界みたいに」 「永遠に相容れぬと思っていたものが、目に見えて変化するというのは……良いものだな」 「うん」  王帝が全回復するのには、随分の時間を要した。浅葱と面談した時の無理が影響していたのか、あの後彼は昏睡状態に陥っていたのだ。  息子である賽貴は、父の代わりを淡々とこなした。嫌がっていた割によく動く姿は、『次期王帝』という立ち位置を広く知らしめることになり、それが賽貴自身の悩みの種になってしまったのだが、これもまた仕方のない流れであった。  だがそれでも、王帝と賽貴は出来る限りで自分の世界を変えていった。  人間と(あやかし)の『相互不干渉』を掘り下げ、妄りに互いの世界に入り込む者には厳罰を。それ以外は互いの使者を通して訪問の許可を得る事など、様々な取り決めを行った。  使者として、賽貴の配下である鴉も目立たないながらも実によく働いた。その為に浅葱とも彼とよく顔を合わせる事となり、気づけば談話などもする仲になっていた。  それから、天猫族(てんびょうぞく)としての長年の悩みであった双子の病も、僅かではあるが良い方向へと兆しが見えているらしい。白雪(しらゆき)の助力もあり、王帝の指示の下で新しい薬や治療法が編み出されているのだ。  将来的には、『王の補填』たる銀の子自体を生み出すことが無くなる方法を、探す方向だ。 「さて、あたしはもう行くね。きっと諷火も待ってるだろうから」 「そうだな。私も若君のところへ行くとしよう」  藍はそう告げると、元気に立ち上がった。そして笑顔でその場を離れていく。  見送る側となった颯悦も、彼女の足音が遠のいていくのを感じてから腰を上げて、踵を返すのだった。    浅葱を取り巻く世界も、あちらと同じように少しずつ良い方向へと変化している。  そうやって、月日が過ぎ去っていくのを実感していくのだ。 「――では、『道』を繋ぎます」  美しい衵扇を開き、しっかりとした口調でそう言うのは、門の番人を変わらずに務める白雪だ。  彼女の背後には一つの鳥居があり、それを潜れば人間界と幻妖界を繋ぐ道がある。 「潜れば、そなたであっても当分は戻れませぬ。宜しいか?」 「――ああ、俺は元々、浅葱さまの一の式神だ。それはこれからも、変わりはない」 「うむ、良いお返事だの。(わらわ)も安心ぞ」 「あなたにも、随分と世話になった。負担をかけてしまい、すまない」 「良いのだ。妾は妾の好きなように動いた。そして浅葱どのも、それを許してくださった。だから妾も、これからも変わらぬ四の式神としてあの方にお仕えするつもりじゃ」  白雪は楽しそうに微笑んでいた。元々の美しい風貌がより一層美麗に輝き、賽貴はそれに目を細めた。 「……浅葱さまは、変わらずにおられたか」 「それは、そなたが何より解っておるのだろう」 「そうだな」 「さぁ、行かれませ。主は今か今かと心待ちにしておられる」  白雪はそう言った直後、扇を仰いだ。ふわ、とゆるい風が生まれる中、賽貴はそれに導かれるようにして一歩を進む。  視界は光に包まれ、懐かしい空気が全身を覆った。 「賽貴!」  聞き間違えることのない声音を、耳にする。  数回の瞬きのあと、視界に飛び込んできた影に、賽貴は表情を歪ませた。 「――浅葱さま。遅くなりまして申し訳ございません。ただいま戻りました」 「うん……おかえり、おかえり賽貴……!」  浅葱は迷わず賽貴の腕の中に飛び込んだ。そして賽貴も、そんな主を受け止めて抱きしめる。  浅葱はこの時、久しぶりに皆の前で泣いた。  周りの式神たちは、その光景に安堵し、それぞれに満足そうな表情を浮かべる。 「さて、これで元通りだね」  そう言う朔羅に、皆が頷く。  個々の立場は、それぞれが小さく変わった。だがそれでも、一人と五体、双子の兄妹の立ち位置は変わらない。浅葱が浅葱である限りは、ずっと。 「――浅葱さま、依頼のご使者が参っております」 「分かりました。お通しして下さい」  陰陽師・浅葱としての日常が、ゆっくりと繰り返されようとしていた。  終
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