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 私は企業のクレーム処理係ではない。高校の教師である(あった)。しかし、在職中はこれでもかといわんばかりに土下座を行ってきた。これが人の不可思議と言うべきか、いったん土下座に慣れてしまうと何度土下座をしても平気になってしまう。だから私は所謂「ドゲセン」になってしまった。少し車をぶつけただけでも即土下座。人を怒らせたら即土下座。これが私の教師生活に於ける「日常」であった。  そもそも教師などと言う輩は常に居丈高で尊大で自我が異常に肥大化した連中なのだ。土下座を繰り返す教師などは世に言う「駄目教師」である。駄目教師が駄目なりに土下座をしている姿は絵に描けばどんなことになるだろうか。  因みに土下座は弥生時代には既に存在していた。邪馬台国で有名な魏志倭人伝(正確には魏志東夷伝倭人之条)にも登場する。すなわち下戸が大人に道で会えば道端に身をひそめて土下座をしていたと言うことである。  二〇一三年に「半沢直樹」というテレビドラマがあり、「倍返し」という言葉が流行した。そして香川輝之の土下座のシーンが視聴率四〇%を超えた。しかし本物の「ドゲセン」である私から言わせるとあんなものは土下座ではない。「倍返し」どころか十分の一返しである。否応なしに渋々とやる土下座などは土下座ではない。本物の土下座とは思い立ったが即やるものである。自然と体が動くものである。すなわち、それは一種の芸術なのである。  邪馬台国の下戸と呼ばれる人々も大人に会うや否や即身をひそめて土下座をしたはずだ。そうしなければ打ち首にでもなったのであろう。  因みに大名行列に会うと庶民は土下座をしていたというのは嘘である。  私は教員時代に六校の学校を渡り歩いてきたが、最後の特別支援学校を除いて常に土下座を繰り返してきた。  ただし、私が他の教師の土下座を目撃したことは一回しかない。それは学校長が全校生徒の前で行うという凄まじい光景であった。 そのことをかいつまんで話そう。  四校目の学校のことである。大変な進学校であり、就職する生徒は全学年で二名しかいない。そんな所で三年間だけ勤務した。 ある朝の職員打ち合わせ会であった。数学の小久保教諭が来ていなかった。まだ三十代で働き盛りの先生であり、無断で欠勤するようなことは珍しかった。
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