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本文1
「駄目教師カルトに走る。」
子供の頃の夢を見た。まだその残滓が脳裏に焼き付いている。中学生になった私は泣いていた。頭をクリクリ坊主にした私が自分の運命を呪っていた。なぜ私はいつも嫌われるのか。憎悪の対象にされるのか。当時の私には理解不能であった。親も教師も同級生も後輩も先輩も何か汚物を見るような目つきで睨んでいる。---というよりは明らかに避けている。「関わってはいけない。あいつは○○だ」と言うかすれ声を聞いた所で目が覚めた。
そう、私は汚物なのだ。汚物は汚物らしく生きていくのだ。それが身の丈に合った生き方というものだ。汚物と化した私は当時のことを思い出し、今の現状を受け入れる決心を固め、約三十年間奇跡的に教師として生きてきたメモリーの一端を残すことを決意した。
教師時代の話と言っても大半は私の関わって来た宗教のことや、幾度となく繰り返して来た土下座のことなどであり、武勇伝も涙を拭うような話も何も出てこない。臭みのする青春映画のような話ではない。駄目教師の駄目ぶりをこれでもかといわんばかりに描いたものである。
そもそも駄目教師というのはどんな教師であって、何を以って駄目だと判断できるのか。その定義は人様々であるが、一般に授業を教えるのが下手であるとか教師としての教養に欠けるといったことだろうか。
答えは双方とも否である。教師の力量が教え方や教養で決まるならば私は自信をもって教師合格だと言えよう。教師の力量とは校務分掌、すなわち事務仕事がこなせるか否かで決まるのである。だから私は駄目教師だったのである。コンピュータができるわけではない。文書の構成が上手いわけでもない。これぞ絵に描いたような駄目教師なのである。
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先ずは土下座の話である。
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