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少し考えてみれば、暑がりの私は、いつものようにクーラーを強くかけていたのですから、生暖かい空気が流れてくる、などということはあり得ないのです。
女の声などを聞きたいと思うよりも、何かおかしいと思うべきでした。
いつの間にか、背中の方からザワザワと生暖かい空気が私を包んでいました。そしてその空気は、なぜだか甘ったるいバニラの香りがしました。
その甘ったるい空気を吸っていると、頭がだんだんボウッとしてきました。私は背中から女が抱きついているような錯覚をおこして、思わず口もとを緩めて笑い出していました。
「ハハっ。」
と声に出して、笑っていたのです。
「ふふっ」
あの女の声が、一緒に笑いました。
(ああ、やっと聞けた。)
私はおろかにも喜んでいました。
生暖かい空気に抱きしめられているせいで、私はシャツにジットリと汗をかいてきました。
(暑いな…。)
私はシャツの袖を捲り上げました。
「ふふふ」
女の嬉しそうに笑う声が、耳元でささやいているように聞こえました。
ハンドルを握る左手を、あるはずのない、女の白い細い指がなぞりました。手首の方から、するすると指がすべり、私の指の間に指を差し入れてそっと握ってきました。
ゾクゾクゾクっとしたのは、恐ろしさからではありません。
女の手があまりにも、色っぽかったからです。
それに私はその女の手を、現実の物とは思っていませんでした。深夜のドライブが招いた、私の妄想のリアル過ぎる産物だと思っていたのです。
バニラの香りが強くなりました。ますますボウッとしてくる頭で、白い手をながめていました。
女の手はボウッと光って見えました。
(おや)
女の手首のあたりに赤い痣があるのが、目にとまりました。
夢のような、現実とは思えない女の手に、赤い痣があるのは、奇妙な気がしました。私の幻覚ならば、しみひとつない真っ白な腕であるはずです。
私の頭の中に、ようやくポツンと小さな疑いが生まれました。
女の左手はしっかりと私の手を、つまり私と一緒に車のハンドルを握っているのです。
見ていると、赤い痣がほんの少し、濃くなったような気がします。
クーラーの効いた車内なのに、私の額から汗が滴り落ちました。
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