オルター・洋子「龍平洋漂流記」より 第6章 水底の天使たち

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オルター・洋子「龍平洋漂流記」より 第6章 水底の天使たち

「羊の木」(2018公開)その1 …「女の手に負えない男」から「誰も手に負えない男」に 優しいしね、別に浮気もしないし、大抵の頼み事は「いいよ」ってきいてくれるんだけど、芯のところが常にそっぽを向いている男がいるのね。 たとえば「船を編む」の馬締光也。カグヤに一目ぼれして夢遊病のようになるが、あれは生物学的に言えばホルモンのなせる技。馬締光也も若い男だから「種の保存」スイッチが入る時もあるが、芯のところは「辞書作り」に向きっぱなしの男である。 言葉集めカードが海の波間に散らばってしまい、馬締が必死で拾い集める、かわいいシーンが有るが、あのとき横でカグヤが溺れていても馬締は躊躇なくカードを拾い続けるだろう。このテの男と長く一緒に暮らせるのは、カグヤのように自分自身も芯のところで男の方じゃなく、そっぽを向いている女だ。 カグヤは女としてはかなりイレギュラーだから、馬締との結婚生活が長期間成り立っている。或いは映画に描かれていない部分で、二人は濃くつながっているのかもわからない。 話はそれるが、お互いにそっぽ向いているからウマクイクんですとか、人生のパートナーです(ぶっちゃけ、もうシテないってことでしょ)とかいう夫婦は、どちらか一方が他の異性に対して「種の保存」スイッチが入った時に内実破綻する。どこまで行っても男と女でなければ、夫婦は厳密には成り立たないと私は思っている。だから、本当の意味での夫婦円満というのは、実はすごーく希(まれ)で、得難いことである。 経済的理由、助け合い、世間体、いまさら別れるほどもないという理由でくっついてる「でも、波風は立ってませんよ」という夫婦を「おしどり夫婦」と呼ぶのは、これから結婚する子供たちに誤解を与えるからやめるべきである。それは「まあ、こんなモンでしょ夫婦」であって、別に悪いこととも思わないけど、「おしどり夫婦」ではないよ。で、「おしどり夫婦」ってのもあるけど稀だよ、と、子供たちに真実を教えるべきである。真面目に言っている。
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