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仕事の終わった此の時間は、軽快な足取りで若い二人連れが、次々と彼を障害物のように通り過ぎていった。行き過ぎた連中にしてみれば確かに四十二歳の彼は歳を取り過ぎていた。だがこれから会う人は彼ら若者の年代にタイムスリップさせる想い出の人である。なのに心は決して軽くない。なぜならそれは十七年前に朔郎を捨てた女であった。
「今さら会いたいなんてどう言う了見なんだ」
心の叫びとは裏腹に気持ちは昂(こう)じてしまう。それは彼女が最初の女であり、彼に人生の道しるべを付けた女だった。
長堀を少し過ぎて堺筋にある喫茶店に彼は入った。心斎橋の賑わいにすればここは場末のおもむきがあった。そこは時間の観念から解放された客だけが紫煙をくぐらせていた。彼らはコーヒーを味わいながら時の流れの外に身を置いていた。
薄暗い仄かな灯りの中に髪こそ少し短めだが昔の彼女の姿が浮かび上がっていた。彼は少しばかり心ときめかせてテーブルに座った。間近に観る彼女はやはり目尻や肌に十七年の歳月を映していた。
朔郎は気落ちしたがすべてが昔のままなんて有り得ないと言い聞かせた。それでも彼女は若く見えた。朔郎を見る佐恵子の瞳が反射的に微笑んだ。
「驚いたでしょう」
そう言いながら輝かせた佐恵子の瞳が彼を戸惑わせた。そのすべての意味を失いかけた時に、脳裏の片隅で冬眠した記憶が蘇った。その時に佐恵子は昔の笑顔を浮かび上がらせた。
「朔郎さん・・・」
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