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1.
「やあこんにちは、こんばんはかな?それともおはよう?ああ、ごめんね、どれでもいいよね。ここはこんなに日差しが明るいものね。」
道行く人々に声をかけている男性がひとり。
笠を被り表情こそ見えはしないが、声の調子からいって機嫌がよさそうに思える。
けれど、彼を省みる人はとても少なかった。
それこそ、その声が聞こえていないかのようなほどだ。
彼を素通りしていく、人々を、けれど彼はあまり気にしていないようだった。
人の波に乗っていた足を止めてなんともなしに眺めてみる。
後ろについていただろう人達は前にぶつかることもなく綺麗に、整然とその滞留した場所を避けている。
なんともなしに見ていた筈なのに、いつの間にかその彼と視線が合っていた。
「やあ!うれしいね、私の声が聞こえているみたいだ!ちょっとこっちに来て話でもどうだい?」
笠の下で屈託なく笑うその顔は、まさしくこどものように無邪気だった。
返事を返すことはなかったけれど、ふらふらとそちらへ歩を進める。
今まで何も思うことなく歩いてきたのに、突然足に力が入らなくなったような千鳥足だったのが不思議でたまらなかった。
周囲の人達が絶妙な距離を保ってくれているお陰で誰かにぶつかってしまうなどということはなく、ただ自分の足取りの悪さだけが理由でゆっくりと彼に近付く。
にこにこと到着を待ってくれているのだろう、急かすこともなくこちらを見守ってくれているのに気付いてしまえば、心持ちでも歩みを早めたのは当然と言えるだろう。
「ああ、そんなに急がなくてもだいじょうぶ。ゆっくりおいでよ、転ばないようにね?」
更に気遣われてしまったが、ならばお言葉に甘えようと歩調を緩める。
やがて到着すれば、彼は思っていたよりも上背があるようで顔を少々上向かせなければその顔の全容が見えなかった。
しかしよくもあの人波で視線がかち合ったものだと感心していれば、やはり彼は朗らかに口角をあげて。
「うん?不思議かい?私にとってはこちらに意識のむいた眼があればすぐにわかるさ!だって大体の人は私を見てくれないもの。」
それが理由になっているのかよくわからないが、きっと常に彼を見ている人を彼自身が探しているからだろう。
「じゃあ、お話ししよう?」
わくわくした様子の彼に、こくりと頷いた。
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