狂気の華

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―――――――――――――――――― 私が産まれ育ったのは,山形県山形市の松本というところです。山形駅からは歩いて十分ほどのところにあります。 冬は雪が積もり,夏はとても暑いところでした。 両親は飲食店の経営と不動産業をしていたので,とても裕福な家庭でした。 兄弟は二十歳が離れた新一郎,十七歳年上の徳子,六歳年上の知世子,そして私が末っ子です。当時の名前は貞晴だったと記憶しております。 初めて男の人と関係をもったのは,十四歳のときに家庭教師の大学生に無理矢理,強引に襲われました。その時はなにもわからず,ただただ怖くて,終わってからも三日間出血が止まりませんでした。 血が止まらない怖さが恥ずかしさに勝り,母親に相談したのですが,その時,大学生は既に東京に逃げてしまい泣き寝入りするしかありませんでした。 それ以来,家族と一緒にいても汚れた自分を受け入れてもらえない気がして,遠くの全寮制の高校に進学しました。 高校でも汚れた自分の居場所はありませんでした。常に虐めの対象となり,先生も見て見ぬ振りだけで大人達は誰も助けてくれませんでした。 高校一年生の秋に自主退学し,それからずっと歌舞伎町で生きてきました。 顔も名前も覚えていない男たちに抱かれることで安心しました。何人かお付き合いさせていただく方とも出逢いました。ある人は突然姿を消してしまい,別の人は事故で亡くなりました。いまになって思うと,私の周りには常に死があったように思います。 そんな毎日を過ごしていると,常に誰かに求められていないと不安になりました。 歌舞伎町が唯一,私の世界でした。私は歌舞伎町に育てられ守られていました。 ある日,共同経営者にお店の売上金を持ち逃げされ,すべてを失いました。借金しかなく,毎日怖い思いをして過ごしました。 私を育ててくれた歌舞伎町が私を殺そうとしました。だから私は殺される前に殺すしかなかったのです。 その時,佳代と出逢い救われました。心の底から安心を得ました。佳代をお世話してくださっている方の協力を得て,共同経営者からお金を取り戻すことができました。彼は自らの身体を酷使して返済してくださいました。 佳代にはとても感謝しています。でも,佳代は悪い男に騙されてしまいました。何度も何度もです。それは私のことも傷つけ苦しめました。 でも、いまは私たちは一緒になりました。私の中で佳代は生きていて,佳代の中に私がいます。 世間の人達は理解してくれないかもしれませんが,私たちはこうやって愛し合っています。 私が死ぬまで佳代は私の一部であり,私は佳代の一部です。 ずっと,ずっと一緒です。 誰にも私たちを,ニ度と引き離すことはできません。 これが私たちの永遠の愛です。 誰にも理解されなくてもいいのです。そもそも理解して欲しいなど思っていません。 私たちの愛を理解する人など不要です。 ――――――――――――――――――
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