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拠り所
今日は定時に終わったので電車で帰れたのですが、まっすぐ帰る気になれず飲んで帰ることにしました。
このところ飲み代やタクシー代をケチっていたせいで、寄り道は久しぶりです。
行きたい店は決まっているので店を出た後新橋方面に向かいました。
10分ほど歩いて古びた雑居ビルに着いたのですが、様相が変わっていました。
『寿司鉄』の看板がなくなって扉に『テナント募集』の札が下がっていました。
店、やめたの?
閉店したの?
佇んでいると隣の店のドアが明いて顔馴染みのママが客と一緒に出て来ました。
ママは客そっちのけで、
「大将、亡くなったんですよ」
「!」
大将というのは寿司鉄の主です。
「…5月だったかしらね、営業中に倒れて救急車で運ばれたんだけど間に合わなかったみたいで…」
もっと顔を出せば良かった…。
タクシー乗り場に歩きながら後悔が全身を駆け巡りました。
最後に来たのはいつだったろう?
1月?…3月だったかもしれない。
あんなに世話になっておきながら…。
独立する前のクラブ時代、先輩のお姉さんに連れて来られたのが最初でしたが、同業者割り引きで安くしてくれるので一人でも足を運ぶようになりました。
ご夫婦で経営されていて、
「三陸の採りたてワカメよ」
「ホヤ、知ってる? クセがあるけど食べやすいようにしてあるから」
行くたびおかみさんから手土産をちょうだいしました。
大将はと言えば口の重い昔かたぎの人で、よく営業が成り立っているものだと感心したものですが、
「ああいう偏屈な男がいいって言う客もいるのよ」
おかみさんの言葉通り、固定客に恵まれているようでした。
思い返せば、大将の店に行きたくなるのは決まってイヤなことがあった日でした。
今日とて、
「先月入れたばかりのボトルがなんでこんなに減ってんだよ!」
難癖をつけられたり、頼りにしている女性が辞めることになってへこんでいました。
年に数回、老人ホームを慰問して寿司を振る舞っていた大将…。
「いつか連れて行って下さい」
とお願いしながら一度も行こうとしなかった…。
大将、ごめんなさい。
悔いだらけです。
拠り所をなくしてとてもさみしいです。
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