来年のパン

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来年のパン

 今日はボジョレー・ヌーボーの解禁日です。  女性達は早く飲みたくてたまらないようです。  ナイスタイミングで水島さんが現れると、 「ラッキー!」  立ち上がって歓声を上げました。 「何がラッキーなんだよ?」 「いいから、いいから。さあこちらへどうぞ。今日はボジョレーの解禁日ですよ」  ちゃっかりと全員で水島さんを取り囲んでしまいました。 「今年のは歴史に残る優良年らしいですよ」 「毎年そう言ってないか? 俺にはよくわからんよ」  そう言いつつおいしそうに飲まれています。  水島さんは最大手のシンクタンクにお勤めです。  企業や官公庁の課題を解決する、難しい仕事をされているようです。  四十代半ばですが中々の毒舌家で、江戸川区に住んでる奴は人生が終わってるとか、デブは恋愛する権利がないとか、グサグサです。  しかしながら当店の女性達には絶大な人気があります。 「水島さん、ちょっと痩せません?」 「私も思った。ほっぺたの辺りがシュッとしてる」 「よりいい男になったか?」    それよりさ、と水島さんは話題を変えました。 「会社の近くにワインに合うパンを揃えたベーカリーがあるんだよ。オレンジピールのバケットだの、イチジクのライ麦パンとかさ」 「おいしそう!」 「食べたい!」 「買ってくれば良かったな」 「来年お願いします」 「そうだな、そうしよう」  全員で指切りです。  帰り際、 「一言だけいいか?」  水島さんが真顔で女性達を見回しました。 「こうした店で働くおまえ達の使命感は大きいと思うんだ。いろんな客が来るだろう? 癒してやってくれ。俺も今日はおまえ達から元気をもらった。ありがとう」  女性達には内緒ですが、水島さんは男性だけが罹患するガンに冒されています。  先週、入院中の親戚を見舞った病院でバッタリ水島さんにお会いしました。 「妙なとこで会っちゃったな」 「どこか、お悪いんですか?」  隠すこともないか、と病名を教えてくれました。  ステージも進んで、転移もあるけど諦めていないそうです。  駅で別れる時、 「来週の木曜日、ボジョレー・ヌーボーの解禁日です。飲みにいらして下さい」 「行くよ」  水島さんは約束を守って今日いらして下さいました。  女性達とも来年のパンを約束しましたよね。  必ず守って下さいね。
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