『胡蝶の悪夢』

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   芋虫と蝶々の魂は、果たして同一の魂と云えるのだろうか?  これは何も、姿形に限った話というわけではない。  卵から産まれた芋虫は、やがて蛹となり、蝶々へと孵化するわけだが、その過程で、芋虫は全身を蛹の中でドロドロに溶かすのだ。それは果たして、生きていると云えるのか。  液状になったそれは、命と云えるのか。  細胞は生きているだろう。だからこそ、蝶々になるわけだし。  だがそれは、人間の死体でも同じではないか。心臓が止まり、医者が死亡確認をしたからって、死体の細胞はまだしばらくは生きているし、分裂だってする。  違うのは、蝶々として再び動き出すかどうかだ。  人間の場合、死んだ後に復活するのはゾンビか聖人のどちらかだろう。  自我があったら、発狂ものだろうね。蛹の中でドロドロになるだなんて。  案外、夢見心地だったりするのかも知れないけれど。  まあ、頭で何かを考える事も出来やしない。  考える頭も溶けてるわけだし。  ともすれば、この疑問の決着に、私は蛹は卵のようなものなのだと思うことにした。芋虫は、蝶々へとなる過程で、その一生を一度終えるのだ。  そして、産まれる。  蛹から、蝶々として。  宙を舞う羽を得る為に、それまでの姿形と決別して。  全く、全身整形にもほどがあんだろ。中身ごとごっそり作り替えての肉体改造とは畏れ入る。  
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