2人が本棚に入れています
本棚に追加
芋虫と蝶々の魂は、果たして同一の魂と云えるのだろうか?
これは何も、姿形に限った話というわけではない。
卵から産まれた芋虫は、やがて蛹となり、蝶々へと孵化するわけだが、その過程で、芋虫は全身を蛹の中でドロドロに溶かすのだ。それは果たして、生きていると云えるのか。
液状になったそれは、命と云えるのか。
細胞は生きているだろう。だからこそ、蝶々になるわけだし。
だがそれは、人間の死体でも同じではないか。心臓が止まり、医者が死亡確認をしたからって、死体の細胞はまだしばらくは生きているし、分裂だってする。
違うのは、蝶々として再び動き出すかどうかだ。
人間の場合、死んだ後に復活するのはゾンビか聖人のどちらかだろう。
自我があったら、発狂ものだろうね。蛹の中でドロドロになるだなんて。
案外、夢見心地だったりするのかも知れないけれど。
まあ、頭で何かを考える事も出来やしない。
考える頭も溶けてるわけだし。
ともすれば、この疑問の決着に、私は蛹は卵のようなものなのだと思うことにした。芋虫は、蝶々へとなる過程で、その一生を一度終えるのだ。
そして、産まれる。
蛹から、蝶々として。
宙を舞う羽を得る為に、それまでの姿形と決別して。
全く、全身整形にもほどがあんだろ。中身ごとごっそり作り替えての肉体改造とは畏れ入る。
最初のコメントを投稿しよう!