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なんとなく、二階の部屋をちらっと見た。今日は宴会の予約がなかったのでここは使わないから真っ暗だし、掃除の必要もない。だけど小柄な背中と赤いバンダナの頭が暗いテーブルのそばに見えた。
「ユキちゃん? 」
声をかけると振り返った。
電球の下うっすら見えていた顔は、誰だかはっきり分からなかった。それが少しずつ近づいてくると見え始めた。鼻が低くて、眼が小さくて、笑った口だけやけに大きかった。そして音もなく、すーっと滑るようにこっちに来る。近づくにつれて顔がだんだん歪んでいく。皺だらけの紙のような、ぐちゃぐちゃの顔が目の前に来た瞬間、叫んでいた。
悲鳴を聞いた店長が駆け付けた時、自分は座り込んでいた。ユキちゃんはいなくなっていた。
「あの、今……。」
奥歯ががちがちなって、声もうまく出せない。
「分かった。とにかく出よう。」
店長はやけに落ち着いていた。店長と一緒に更衣室に行き、二階の部屋を絶対見ないようにして店の外に出た。店長は店の二階を見上げて言った。
「大丈夫だ。何もしない。」
「店長、あれ、何ですか? 」
外からでも、二階を見たくなかった。
「何か分からない。でも見えるからってなにかするわけじゃない。二階から外に出ることもないみたいだし。」
そう言ってため息をつくと、さっさと帰ってしまった。
自分は自転車で通っていたので、とにかく全速力で家に向かった。なるべく明るく広い道を通るようにした。坂道になるけれど、車の通りも多いので、とにかく暗いところには行きたくなかった。
坂道を登っていた時、ぷんっと何かの匂いがした。見ると道路がびしゃびしゃに濡れていた。雨なんか降っていない。ここだけ坂道の上から何かまいたみたいに道路一面濡れている。街灯に照らされて、道路に流れる液体が鈍く光っていた。
進むと、赤いランプが点滅しているのが見えて、坂道の先でぐちゃぐちゃになった車が見えた。車が、横に90度に曲がっていて、運転席は見えなかったけれど助手席は潰れていた。
墨田さんがさんざん自慢していた新車によく似ていた。怖くてそれ以上見たくなくて、顔をそらして自転車をこいだ。
その日は近くに住んでる友達に片っ端から連絡して、泊めてもらった。
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